運命は一夜限り

初冬を迎えたある日の晩、エミリさんと私は向かい合うようにして、キングサイズのベッドの上に座っていた。けれど、何も話さずに一時間ほどずっとそうしていた。
両者ともに、微笑むなんて余裕は一切持っていなかった。だって、明日の朝の七時が来たら、私は死んでしまうのだから。

一般に「繭部屋」と呼ばれているその部屋は、繁殖目的以外のセックスを実行するために造られた空間だった。
市街地の片隅にあるその部屋には、調度品と呼べるものがほとんど設置されていない。カーテン付きの小窓と外界と部屋をつなぐ折り戸と、嘘みたいに巨大なベッドがひとつあるのみだ。
高い天井と板張りの床を備えた繭部屋は、まるで母親の胎内のように落ち着く場所でもあった。限りなく閉鎖的なこの空間にエミリさんと二人きりでいられることが、とても嬉しかったのに、それでも私は笑うことができずにいた。

「明日になったら、あなたは死ぬのね」
単刀直入にそう告げられて、私は肩を震わせた。寒さを感じたためではない。「死」という不吉な言葉に反応したせいだ。
そう、私は明日死ぬ。善行を積んだとしても悪徳に耽ったとしても、朝の七時になれば死ぬ。あどけなさを残した頬も、背にまで垂れた黒髪も、華奢な作りをした手足もすべて消滅する。
「怖いの?」とエミリさんが言う。黒々ときらめく双そうの瞳にまごつく私の姿を捉えながら、彼女は、
「……やっぱり怖いのね」
とため息まじりに呟く。淡々とした口ぶりで。まるで、そう、──自分自身を納得させるかのように。
「ねえ、あなた。頼むから教えてちょうだい。これが最後なのだから、本音を私に教えてちょうだい」
水玉模様のカーテンを閉め切った部屋に、硬くこわばった声が響く。緊張を感じているのは、どうやら私だけではないらしい。
その様子に少しだけ安堵あんどを覚えた私は、長い息を吐き出したあと、
「怖いに決まっています」
とだけ言った。エミリさんが発したものと同じくらい、暗く、寂しげな声が出た。

太陽系第三惑星・地球には人類が住んでいる。一定水準以上の教育を受けた者ならば、誰もが知っている事実である。私たちが住むこの星が、疫病で男性を失ったことも、だいたいの人は知っている。
そう、男たちは死んでしまった。前世紀の末に流行った伝染病によって、見事なまでに絶滅させられてしまったのだ。
──あっという間の出来事だった。疫病の原因たるDウィルスは男性だけを死に追いやった。発見されてから三年と経たぬうちに、世界から「男」という存在を抹消したのである。
残された女たちは恐慌状態きょうこうじょうたいに陥った。
男が死んだら子をなせない。それはつまり、女性たち全員の死と人類の滅亡を意味する。
だから焦った。憂いもした。世に生きる人の誰もが暗い顔をして、日々を過ごしていた。
しかし、救いの手は思わぬところから現れた。

いまだに信じがたい話であるのだが、一部の女性の体に奇妙な変化が生じたのだ。男たちが持つものとまったく同じ機能を有した生殖器が、ごくわずかな数の女性の股間に生えてきたのである。

この知らせは、残された女たちに希望と勇気を与えた。
無理もない反応だった。男の助けを借りずして子をなすことができるのだと判明したのだ──人類滅亡の危機を無事に回避できたのだから、喜び合うのも当然だろう?

「でも、喜び合うのはまだ早かった」
エミリさんが淡々と言った。
外では大雨が降っているはずなのだが、防音設備を充実させているこの部屋は至って静かだ。
「『リベル』じゃない女たちは、新たな流行り病で死ぬようになったのよね。そしてその病気にかかった子は、十八歳の誕生日の朝七時に必ず亡くなってしまうのよ……」
「そうですね」
私はあらためて、エミリさんの目に視線を合わせた。
リベル。
それはペニスを生やした少数の女性たちの総称である。「リベル・S・ガードナー」という名の英国人女性が世界で初めて男性器を持ったため、そう呼ばれるようになったのだった。
しかし、その話題はさして重要でないのでここでは措くことにする。
女性だけを襲うウィルスの力は絶大で、瞬く間に地球全体に拡散した。そして次々と対象の命を刈り取っていった。
神様というお方はどうやら、人間に試練を与えるのを相当好んでいるらしい。

「だから私は、あなたに抱かれに来たんです。エミリさんのことがどうしても欲しかったから」
音のない空間に、張った声が響いた。緊張が極限に達しているせいか、そういう声しか出せなかったのだ。
私の告白に気を良くしたのだろう。エミリさんがようやく笑った。
「小藤ちゃん、小さな頃から私のあとをついて歩いていたものね。母親を慕う子どものように一途な目をして、私だけを見てくれていた」
「……嫌でしたか?」
「そんなことないわ」エミリさんが即答する。
「ただね、私は不安なのよ。あなたの体をうまく抱けるか悩んでいるの」
「それは杞憂に過ぎないですよ」私はすぐさま、言葉を差し挟んだ。
「一目見たときからずっと、私はあなたのとりこなんです。あなたさえいればいい。他のリベルには触れられたくない──出会って数年が過ぎた今でも、その想いは残っています。私の心の中心にいるのは、いつだってあなただけなんです」
「あはは、すっごい強烈な告白ね」
「本心ですから」
なおも微笑をたたえるエミリさんにめがけ、告白の言葉を放った。嘘偽りのない真実の声を、私独自の生の声を彼女に届けるために。

リベルの精液を子宮に収めた女性は、受精してから数時間経過すると肉体ごと溶け崩れる。一度ゲル状の物質へとその身を変質させ、そして自分そっくりの容姿をした女の子に「転成てんせい」してしまうのだ。
ちなみに「転生」でなく、「転成」という文字があてがわれている理由は、「まったく同一の魂を持った人間には生まれ変われない」という学説から来ているらしい。……その辺は不勉強ゆえ、私のよく知るところではないのだが。

「一目惚れしたんですよ。桜の木の下で出逢ったあなたに」
初めて顔を合わせたときの記憶を思い返しながら、私は言った。
エミリさんは私が最初に見たリベルだった。母が、彼女の友人の娘だというエミリさんに逢わせてくれたのだ。
当時私はまだ小学生で、自分の背負った過酷な運命など少しも知らずにいた。この星にかけられた呪いのことも、自分がいつか「転成」するかもしれぬこともまったく知らずにいた。
他の多くの子どもたちと同じように、私は無邪気で幸せな幼少期を過ごしていた。母を転成させたであろうリベルの顔は思い出の中になかったが、しかし、母と二人で幸福な生を歩んでいたのである。
母に連れられて近所の広い公園に行った際、園内の桜は満開だった。そしてひときわ太い樹木の──盛大に花を咲かせた巨木の下にエミリさんは立っていた。
そして、
──私は一目で彼女に惹かれた。
細枝のようにしなやかな手足を持った彼女に、一瞬で心を奪われた。
はにかむような微笑を薄い唇にあらわしていた彼女に、魂ごととらわれた。
初めて見たリベルは、まるで、この世に顕現した女神のように清楚で美麗でたおやかな雰囲気を醸していた。
エミリさんの立つ地点を中心に世界が浄められているのではないか──そんな妄想を当時の私は抱いたものだが、それはあながち間違いではなかったのかもしれない。
真実なんて人の数だけある。
世界なんて主観しゅかんの数だけ存在する。
ならば、私の抱いた妄想だって真実のひとつであるのではないかと考えたのだ。

失っていた半身を見つけたような強烈な歓喜が、幼い私の体を稲妻のように貫いた。
初めて自覚した「恋」だった。

だから私は、一も二もなくエミリさんに抱かれることを選んだ。
エミリさんとセックスをし、転成を果たし、地獄のように美しいこの世に返り咲くことを選んだのだ。
エミリさんがそっと右手をのばしてくる。私はそれに逆らわず、ただ彼女の動きに身を委ねる。
二人して無言だった。母胎のように清潔な部屋でどちらからともなくキスをし、互いの唇を一途に吸い合った。
スマートなやり方ではなかった。
でも、作法なんかにかかずらう余裕などこれっぽっちもなかった。
このセックスは私を「死」から救い出すための唯一の方法なのだから。転成を終えるために必要な手はずなのだから──。
とん、と軽く左肩を押される。
私はその場に転がるようにして、背中をベッドにつける。
擦れるシーツの感触が衣服の向こうから伝わってくる。命がけの性交にこれから挑むんだと考えたとたん、脇の下に微量の汗が伝った。
「心配しないで」
降ってくる声に、私は「はい」とだけ答えた。今や、言葉は無用の長物だと理解していたから。
だから、服を剥いで愛撫を仕掛けてくるエミリさんに全部を任せた。恐怖心など少しもなかった。

リベルの多くは女性の扱いに慣れている。転成を望む女性たちを抱き続けてきたからだ。そしてそれは、リベルに課かされた唯一の義務でもあった。消滅を厭う女性たちを転成させ、その霊魂を復活させること──それがリベルたちの存在意義であったのだ。

しなやかに動く手が、まるで包装紙を剥ぐように私の衣服を脱がしていく。あっという間に私は裸にされる。
緊張がなりをひそめ、代わりに例えようのない興奮が底の底から突き上げてくる。悦びの感情が爆発的にとどろいて、私を思わず笑顔にさせる。
エミリさんは自分も素早く服を脱ぐと、私の上にゆっくりと覆いかぶさってきた。
素肌と素肌が隙間なく触れ合った瞬間、浮き上がるような幸福感が生まれて、私の全身を駆け抜けていった。脳髄を揺らすような強烈な悦びに、私はそっと涙を流した。
エミリさんに出逢ったあの日からずっと、私は彼女の手によって生まれ変わることを望み続けてきた。他のリベルを求めたことなど、一度たりとてなかったのだ。
もはや、「歓喜」の一語では括れぬ熱っぽい感情が、私の心を乱していた。けれど、不快な感覚ではなかった。
私は幸せだった。
この後、まったく別の「私」になるのだとしても、それでも幸せだった。
エミリさんが動く。ためらうような怯えるような、どこか遠慮を感じさせるしぐさで私の乳房を揉んでくる。下からすくい上げては、手指を通して一夜限りの愛を伝えてくる。
光の乏しい空間に、ベッドのきしみと二人分の小刻みな呼吸音が絶えることなく響く。その控えめな音声はまるで、そう、外で降っているであろう雨音の調べを思わせた。
わずかに育ったふくらみをひとしきり揉みしだいたのち、エミリさんが私の足を大きく広げた。繭のように閉じた世界に、私の嬌声がひとしきりとどろきわたる。
けれど、それでも──私は彼女を拒まなかった。むしろみずから足を開いては、その奥へと彼女の体を招いた。「合意の上でのセックスは、いつだって甘美で幸せなものなんだ」という単純な結論が脳裏に兆して、私の体の隅々までをすぐさま支配していった。
エミリさんの舌がクリトリスに触れる。
すでに硬く尖りきっていたその部分はぐしゅぐしゅとあふれる愛液にまみれ、与えられるであろう愛撫を存分に待ち焦がれていた。
だから、エミリさんの舌がそこを刺激した瞬間、私は背筋を反そらして、
「あぁ……!」
と高い悲鳴を押し出した。
しかし、足は閉じなかった。そんなことをしたら、大好きなエミリさんの舌が離れていってしまうから。──だから決して閉じようとはしなかった。
エミリさんの舌がうごめくたびに、微弱な電流のような痺れが幼い我が身を襲った。波濤のような動きを有するそれは、私を屈服させるのに十分な威力を持っていた。
「あぁ、……っ…………」
羞恥心を掻き立てる声がひっきりなしに漏れ出て、私自身の聴覚をいたずらに揺さぶっていく。
だが、声は止めない。止めようなんて少しも思わない。エミリさんの耳を楽しませたいから、私の心がエミリさんにとらわれていることをちょっとでも伝えたいから、小さな声で喘ぎ続けた。持てる激情のすべてを彼女に教えたかったから、反応を返し続けたのだ……。
愛液が、蜜のように激しく粘る。
エミリさんの手が、舌が、皮膚が、私の幼い肉体を一体の雌へと作り変えていく。
その一連の手続きから受ける悦びを、私は少しも隠さない。体全体で幸せを表現しては、再び覆いかぶさってきた彼女の重みを全身で受け止める。
「あ……」
硬い感触が腹に触れた。
「ごめんね」
エミリさんが苦笑めいた笑いを薄い唇に刻む。
「大丈夫です。……私は大丈夫だから、だから、エミリさん──、」
と、そこまで告げたときだった。
「……あっ、…………!」
杭のように硬く、湯水のようにぬるい物体が私の中に、一気に入ってきた。
初めての挿入だった。
十分な時間をかけて慣らされたためか、さして痛くはない。いわゆる破瓜の痛苦というものは、どうやら私とは縁なきものであるようだ。
それもこれも、エミリさんが頑張って愛してくれたおかげなのだけれど……。
「ごめん」
言って、エミリさんが動き出す。愛液と精液がなぶるように絡み合い、卑猥な汁音を私の耳に響かせる。いつしか肌を垂れていた汗がエミリさんのそれとひとつになり、私たちの素肌を強く密着させていく。
掻き抱いてくる細い腕は、あきらかに女性のものだ。
だけど、狭い女陰を犯す性器は男性のものだ。
そのアンバランスな感覚が、私の肉体をさらなる高みへと連れていく。「甘美な興奮」と名づけられしさらなる高みへと──。
繰り返される単調な挿抜。
しかし、それこそが長年私が望んできたものだった。
自分と同様、エミリさんにも余裕がないと知ることができ、私は酷く満足した。転成のためのセックスだとしても、子を産むためのセックスでないとしても、繁殖につながるセックスでないとしても、私は確かに幸せだった。

運命と呼ぶにふさわしいこの一夜が過ぎたら、私は私でない別の「誰か」になるだろう。
「私」という個体はこの世からあっけなく消滅し、そして新たな生き物へと転成を果たすだろう。
けれど、それでもいい。
二度ある運命なんてまがい物に過ぎないのだから。私が望んだ「運命」は、もとより一夜限りのものなのだから──。

ぬるむ子宮の奥の奥、本来子をなすための器官が存在するその場所に、あふれんばかりの体液が注がれるのを私は感じた。
それは私個人の死と、新しい命の誕生を知らせるひとつの合図でもあった。

【了】