地球の上で逢いましょう

1 はるか遠くのアルタイル

男の子がいる。蜜柑《みかん》色の癖っ毛が印象的な、とてもちいさな男の子だ。
まだ学童期に入ったばかりのあどけない顔立ちをしたその少年は、天の片端にたたずむアルタイルをじっと見つめていた。
他にすることがなかったのだ──星を見上げること、それ以外には。
だって、見知らぬ男に突然道端で声をかけられ、なにも知らされぬまま、家の近所の森の奥に押し込められたのだ。
「痴漢」という単語や概念すら知らなかった日向にはただ、息を荒げてかぶさってくる男を受け入れることしかできなかったのである。
抵抗なき反応をよしとしたのか、男は日向に危害を加えなかった。下半身を覆っていたハーフパンツを問答無用のていで脱がし、──幼い股間を丹念に舐めた。水を飲む犬のようにぴちゃぴちゃと音を立てて、舐めた。閉じかけた足を力強い両腕でこじ開けては、萎えた性器に舌を這わせた。
男の行為は荒っぽかったが、口調は意外にも優しいものであった。
「大丈夫?」
「きつくない?」
「終わったら、飴玉をあげるからね」
日向は黙ってうなずいた。自分がなにをされているのか、それすら判断できないほど幼すぎたためである。
「ああ、綺麗だ。女なんかよりも君は綺麗だ」
「変なことを言うひとだなあ」と思った。元気でやんちゃな自分を捕まえて、「綺麗」と評するなんて本当に変わっている。その手の褒め言葉は、女のひとにすべきものなのに……。
(まだかなあ……)
はるか遠くのアルタイルを見上げながら、ひとり物思いに耽る。精通さえ迎えていない肉体であるがゆえ、性的快感を得る力は少しも持たない。
当時の日向は、まだ小学生になったばかりだったのである。
「気持ちいい?」
熱意に満ちた口調で、男が問う。
日向はとりあえず、曖昧にうなずくことにした。なぜそんな返事をしてしまったのか判然としないが、とにかく、男の声に素直に従った。
一方的な要求を突きつけられた体は、ただひたすらにむなしさを覚えた。のちに「これも愛の行為のうちのひとつだ」と知ったが、そのときにはもう、なにもかもが手遅れだった。
長じてからの日向は、この夜を思い出すたびに悲しみ、惑い、嘆き、打ちひしがれた。
親や妹や友人を心配させたくなかったから、誰にもないしょにしていたけれど、しかし、──秘密は突然暴かれることとなった。
ことさら意想外《いそうがい》な人物の手によって、秘密が秘密でなくなってしまったのである。

2 夜の深さ

大会を間近に控えていたその日、ひとりで帰り道を歩いていた。ある晩秋の夕方のことである。
汗ばむ手で自転車を押しながら、夜道を歩いた。影山や他の部員らとは家が別方向であるため、しんとした田舎道をひとりで歩いた。
怖かった。
夜道を歩くと、どうしても「男に襲われた過去」を思い出してしまうから。ねっとりした息遣いや耳許をかすめる荒い呼吸、無遠慮に性器をつかむ細い手指などを思い出し、嫌悪に震えてしまうから──。
自然、歩く速度が上がった。
コンビニも民家も見受けられない狭い舗装路に、車輪の回転音が響く。かさり、かさりと聴覚を揺るがすのは、木の葉が静かに擦れ合う音か。
(早く帰らないと……)
「また誰かに捕まったらどうしよう」という、切迫した想いが募る。緊張で喉が渇いてきた。一歩前進するたびに、封じ込めていたはずの記憶が鮮明に蘇ってくる。恐怖にすくむ心が、体にまで強い影響を及ぼす。
幼き日の日向はとにかく小柄で、とんでもなく小柄で、しかも華奢な体つきをしていた。女の子に間違えられることさえ、たびたび在った。
いまもそうだ。たとえば友人たちが冗談のつもりで、「日向って女装が似合いそうだよなあ」とか、「お前みたいに細い奴なら、俺、抱ける気がする」とか、好き勝手に言ってくる。そのたびに日向は笑ってかわすのだったが、胸のうちでは屈辱に打ち震えていた。
「おれだって男なのに……」と何度も言い返しそうになった。けれど、余計な波風はどうしても立てたくなかったので、笑顔で受け止めた。胸に入ったちいさなひびを明確に自覚しながらも、快活な笑みを繕った。
華奢でよかったためしなんて、一度としてない。好きな女の子に告白しても、
「でも、翔陽くんって私よりもかわいい顔をしているから」
という理由で断られた。それも一度や二度ではなかった。
だから、──中学に上がるなり、スポーツに打ち込んだ。もともと運動は好きだったし、外で体を動かせば筋力がついて男っぽくなれると信じていたからだ。
そして、日向はふと気づいた。
電柱の明かりが切れている。それもここら一帯に建つすべてのものが、光を閉ざしているのだ。
「……」
嫌な予感がした。「あのときと似たような状況だ」と悟ったから。
思い出すのも忌々しいあの日──まだ「痴漢」という言葉すら知らなかったあの日も、電柱の明かりが全部消えていた。
(──本当に嫌な予感がする)
足を速め、前に進む。軽い動悸が胸を圧《お》す。
日暮れが過ぎ、夜がじわりと迫ってくる。
アルタイルは、──あの日見た星は見えない。なのに、夜の深さにたじろぐ自分をどうしても止められない──!
「待ってたよ」
手足が一斉にすくんだ。かろうじてハンドルから手を離さずに済んだが、それでも動揺は隠せなかった。
肩に力が入る。のけ反る背にも、力が入る。
まさか、あの日の男にまた見つかったのだろうか……、
──しかし数メートル隔てた先にいたのは、想像の埒外《らちがい》に在る、まったくの第三者であった。
「大王様……?」
意外すぎる人物の登場に、問う声が揺れた。
及川とはさしあたり、二度ほど試合をした仲だ。それ以上でもそれ以下でもない。さほど親しくはないし、ましてや友人同士でもなかった。
「あ、あの……、なんでこんなところに……。あ、もしかして、大王様の家もこの近所なんですか?」
「いや、まったくの別方向だけど」
……なんて馬鹿な質問をしてしまったんだろう。以前、影山からそれとなく教えられたから、知っていたのに。県内でも有名な名家たる「及川家」だ──こんな辺鄙《へんぴ》な地域に在ろうものか。
「えっと……。じゃ、じゃあ、なんでここにいるんですかっ。おれ、早く帰って夏の相手をしないと……」
「夏?」
及川が眉をひそめる。訝しげに歪められたその表情までもが、どことなく美しい。
「おれの妹です。夏っていうのは」
「ああ、きょうだいいるんだ。ていうか、チビちゃんってお兄ちゃんだったんだ。意外だなあ……」
「それ、どういう意味ですか!?」
語気を強めて尋ねたところ、
「特に他意はないね」
という、ごく端的な返事が戻ってきた。
他意はない──まったくもって、聞き慣れぬ言い回しだ。これでは答えようにも応じきれぬではないか。
ハンドルに手をかけたままじっと立ち尽くす日向を見、及川が言った。
「チビちゃんさあ、この近くで襲われたことあったよね?」
瞬間、
──体中の血液が一気に冷えた、ような錯覚に陥った。
「な、なんのことっすか」
問い返すが、どうしても声がうわずる。
及川は憎らしいほどに、余裕ある笑みを浮かべている。
「うん、だからさ。──チビちゃんって、ちっちゃい頃、男に抱かれたことがあるんだよね? それも無理やりに、さ」
「……」
「違うかな?」
闇に慣れた瞳に、及川の冴えた立ち姿が映る。服の上からでもそれとわかるほど筋肉量に恵まれた体だが、身長も相応に高いため、さして幅広な印象は受けない。むしろ、均整の取れた肉体だとひいき目抜きで思えた。
対する日向はというと、これがまた悲しくなるぐらいに貧相なのだ。身長は及川よりも二十センチほど低いし、女の子みたいに細い。バレーを始めたのちはわずかに筋肉がついてきたけれど、それだって、及川のそれに比べれば微々たるものなのだ。
おなじ性別なのに、どうしてこんなに体格差が在るんだろう──考えたとたん、度しがたい悲しみが湧きのぼってきた。
「どうしたの。俺の顔をじっと見たりなんかして」
及川は笑みを絶やさない。焦る日向を包む込むように見つめては、
「『なんで、それを知ってるんですか』と言いたげな顔をしているね。……うん、思ったとおりだ」
とひとりごちる。
焦燥感と緊張感が肩の震えと化し、日向自身を激しく苦しめた。自転車に触れる手が、感覚をなくしそうになる。
「大丈夫?」
笑って告げながら、及川が距離を詰めてきた。王侯貴族のように優美で堂々とした足取りだった。
震える右肩に及川の手が乗る。反射的に身をすくめると、
「おびえないでよ」
──やはり笑みながら言われた。
けれど、この異様な状況下でどうして平然としていられるだろうか。
目の前に立つ及川は、誰にも言わずにいた過去について、すべてを知っているようなのに……。
「目的はなんですか?」
震え声で問うのがやっとだった。
「脅迫でもしたいんですか? だったら、部の皆は巻き込まないでくださいっ。傷つくのはおれひとりで充分なんですから……、」
「──いや、べつにお前を傷つけようとか考えたことないんだけど」
「……え?」
「とりあえず、秘密をばらしてほしくなかったら俺の家においで。それから、いろんなことを教えてあげる。……俺がお前の『秘密』を知ったいきさつもね」
なんてことだ。
たった二度ほど戦った相手でしかないのに、まさか家に招かれるだなんて。
(行きたくねえな……)
本心ではそう思ったが、応じぬわけにはいかない。
秘密を知られている時点で、こちらに拒否権などないのだから。

3 あたたかな腕

及川徹は、実に食えない男である。
「二学年ほど年の離れた友人」だと偽って、日向の自宅に連絡を入れ、「今夜はうちに泊まらせます」などと申し出たのだから。猛禽のように居丈高な本性を巧みに隠し、日向の母の前で「気のいい、ライバル校の主将」を演じきってみせたのだから──。
「さすがは名門校のキャプテンね。礼儀正しいわね、及川くんって」
電話口にて、彼女はそう言った。
「私たちのことなら心配しないで。夏ならもう寝ちゃったし……。だから、楽しく遊んできなさい」
母の声は、明らかにはずんでいた。
それもそうだろう──県内はおろか、東北地方においても有名な及川の家に、息子が招かれることとなったのだ。興奮のひとつやふたつもするだろう。
だが、彼女は必要以上に浮かれなかった。常識を持つ親の例に漏れず、すぐさま口調をあらためると、
「失礼のないようにしなさいね」
と念を押すのだった。
日向の母は、権威に媚びるような人間ではない。ただ、息子に新しい友人ができたことを純粋に喜んでいるだけなのである。こちとら長年「息子」として、彼女に接しているのだ──母親の心理的傾向ぐらい、手に取るようにわかる。
携帯を切る。その直後、
「お母さん、なんて言ってた?」
と問われた。及川の自室での──ひとりで過ごすには広すぎる和室での話である。
「『及川くんって礼儀正しいのね』って言ってました。褒めてましたよ、全体的に」
それから、日向は誰にともなく、
「おれを無理やり脅すような、ひどいひとなのに……」
と吐き捨てた。すると、それを耳ざとく聞きつけた及川が、
「俺、こういうの得意なんだよねー。『性格のいい、気のいい男子』を演じるの、とっても得意なの」
などという、物騒な発言をする。
あえて返事はしなかった。差し出されたお菓子にもオレンジジュースにも、手をつけなかった。
「チビちゃん。もしかして甘いの嫌い?」楽しげな口調で、及川が尋ねてくる。
「いえ、んなことないっすけど……。でも、もう九時過ぎてますし。今頃、甘いものを食べるつもりにはなれないっていうか……」
しどろもどろに答えたところ、なにを勘違いしたのだろう、「ああ、夜食が欲しいんだね」と、強引な口調で押しきられた。
「じゃあ、いまから母屋に行って、使用人に夜食を作らせてくる……、」
立ち上がりかけた及川に向かい、急ぎ、「待ってください!」と声をかけた。焦りながら制止の声を出したためか、軽い目まいに襲われる。
「あ、あの、おれ、飯とかどうでもいいっすから! それよりも、なんで大王様がおれの過去を知ってるのか、それが知りたくて……」
「だからここまで来たんだよね。……わかってるよ、そんなこと」
再びその場に座り込んだ及川が高い声で笑いながら、言い返す。その表情からは、悪びれた様子がまったくうかがえない。
(なんてひどいひとなんだ……)
心に仏を棲まわせている菅原や東峰とは、大違いである。
(このひと、わかってておれをいじめるようなひとなんだ。きっとそうだ)
根拠のない確信を、ひとり深める。
と、及川がなにげない口ぶりで、一言言った。
「じゃ、寝ようか」
「……は?」
「だから、『いっしょに寝よう』って言ってんの。さっき風呂にも入ったし、もういいよね? 明日は日曜だけど、部活は在るから」
「……」
どうしてそんなに上機嫌なのだろう、及川はずっと笑っている。年頃の女子が見たら泣き出しそうなぐらいの、ひどく華やかな笑顔だ。
「寝るって……」
「もちろん、ひとつの布団で寝るの。俺たちふたりで」
「大王様と!?」
「そういうこと」
「これは決定事項だからね」と浮かれた調子で言いながら、及川が腰を上げる。
嘘だと信じたかった。信じさせてほしかった。
しかし、日向の望みを叶えてくれる存在はここにいなかった。
鼻歌を歌いながら、及川が布団を敷き終える。それからその上に座って、とてもいい声で、
「おいで」
と呼びかけてきた。実に明るい声である。
「おいでとか言われても……。おれ、ペットじゃねえし」
「なに? 俺の言うことが聞けないっていうの?」
「そうじゃなくて、」
もどかしさのあまり、日向はつい、顔をしかめた。
「不純ですよ、こんなの! おれたち、男同士だし……。及川さんの彼女に悪いっていうか……」
「大丈夫。俺、いま、彼女よりチビちゃんに夢中だから」
「……練習試合の時、清水先輩に声をかけていたくせに」
じっとりしたまなざしでにらみつけると、及川がさも嬉しそうに両頬をたわめた。
「もしかして、嫉妬してくれてんの?」
「べつにそういうわけじゃ……」
「いや、嫉妬してるね。絶対にしてる」
「だから、そういうわけじゃないですってば!」
大股でにじり寄り、及川の隣にまで近づく──「これは罠だ」と心のどこかで警報が鳴るが、さしあたって無視することにした。
ここまで来て、逃げ帰れはしない。あっさり帰されるとも思わない。
仕方なく、布団にもぐり込む。及川も布団の中にもぐる。
ふと訪れた静かなひとときに気まずさを覚えた。男同士なのに、敵同士なのに、──どうして、一枚の掛け布団に仲良くくるまっているのだろう?
横目で及川の顔を見た。彼はやはり、柔和な笑みを表している。端正なおもてを飾るその微笑になぜかしら、ただならぬときめきをいだいた。こころなしか、頬の温度が軒並み上がったように思う。
同性を愛する趣味も心づもりも、なきに等しいというのに。断然、女の子のほうが好きなはずなのに……。
あたたかかなふたつの腕に抱きすくめられる。血管の浮いたその腕はまぎれもなく、おなじ性に属する人間のものである。
ボディーソープの豊かな香りに包まれて、日向は少々どきりとした。男に抱かれて喜ぶなんて間違っているはずなのに、心はなぜか──嬉しがっている。友達ともしたことのない触れ合いに、ささやかな悦びを感じはじめている──。
「なんか嬉しそうだね」及川がぽつりと言った。「チビちゃん、幸せそうな顔してる」
「べつに……。嬉しくなんかないっすけど……」
答えは、否であった。
物心ついた頃から、日向の両親は不在がちであった。父親が県外に単身赴任している都合上、同性に優しく抱きしめられた経験が極端に少なかった。家に母や夏もいるけれど、父とはどうしても疎遠になりがちだったのである。
だからこうして抱かれることが、──嬉しかった。戸惑いも覚えたけれど、それでも嬉しかった。
衣服の先にひそむ体温は、穏やかなぬくみに恵まれている。
安穏たる熱が、焦りと緊張で喘ぎがちだった心を幾分慰めてくれた。まるで長年親しんできた友からの抱擁を受けているような、げに晴れ晴れしい気分になった。
……けれど、及川は日向の友ではない。味方でもない。敵だ。ライバル校の主将なのだ……。
「俺のことも、怖い?」出し抜けに、及川が呟いた。
「俺は『過去にお前を襲った男』ではないよ。それでも、こうされるのは辛いかな」
「……わかんねえっす」
答えは、正であった。
突拍子もない出来事に見舞われて、頭の中が混乱しきっているのだ──自分の本心さえもが見えない。
「ほら、もっとくっついて」
控えめな力をもって、ゆるく引き寄せられた。あたたかな腕と引き締まった胸板の感触に、どうしていいかわからなくなる。
優しく背中を撫でさすられると、体全体から余分な力が抜けていった。敵チームの主将にこんなことをされて嬉しいはずがないのに、それでも心は意志に逆らう。
気持ちよすぎて、艶のこもった吐息が漏れ出た。認めたくない話だが、心だけでなく、体までもが「及川」という存在に寄りかかってしまっている。
「チビちゃんってかわいいよね。強情だけど素直だし。意地っ張りだけど、すぐなつくし」
「なつくって……。だから、おれはペットじゃねえってば、」
「わかってるよ。チビちゃんはチビちゃんだもんね」
言って、及川が遠慮も躊躇《ちゅうちょ》もせず、日向の髪に触れてきた。一度おおきくかき混ぜるように撫でてから、──やんわりとキスを落とす。
不思議だった。
男との性的な接触を心の底から嫌っていたはずなのに、及川に触られても、特に嫌な気分はしない。
「なんで、おれ……」
「ん?」
「なんで、おれ、大王様に触られても嫌じゃないんだろう……。あのときの記憶を思い出すだけで、死にたくなってくるのに」
「少しは俺のことが好きだからじゃないの?」
「そんなことはありません!」と胸を張って言えたなら、どんなにか救われた心地になれただろう。けれど、頭から否定するよりどころがどうしても見つからない。この強引で傲慢で高慢な男にいつしか惹かれている自分を、止めることができないのだ……。
(だって、おれ見ちゃったし)
コート上の及川は、とても魅力的な選手だ。高い攻撃力と圧倒的なカリスマ性をそなえているし、恐るべき統率力も持ち合わせている。敵にするには手強いが、もしも彼が味方であれば、かなり頼りになる存在になったであろう。
「大王様とおれがおなじチームだったら、楽しかったかもしれないな……」
ひとりごとを口の中で呟くと、及川がちいさく微笑んだ。
「それ、俺も思ってた。『俺なら、飛雄よりもチビちゃんの能力をいっぱい引き出せるのになあ』って、ずっと思ってた」
「マジっすか?」
「うん。練習試合のときからそう考えていたけど」
そして、及川が腕の力をわずかに強める。
「チビちゃんさ、いまからでも遅くないから青城に来なよ。……俺といっしょに全国目指そうよ」
「それは……、駄目っす」
「どうして」
「いまから青城に行ったら、烏野の敵になっちまうからです。おれ、仲間のことだけは裏切りたくないんです」
部員らの顔をひとつひとつ、脳裏に浮かべる。誇り高い先輩方や愛すべき相棒、頼りになる同級生やマネージャーとのやりとりを心に描き出しては、
「駄目です」
と、いま一度繰り返す。
「大王様とバレーをしたいという気持ちもありますけど、おれ、いまの仲間と全国を目指したいんです。その気持ちだけは、どうしても動かねえんです」
蜜柑色の癖っ毛にキスをまた降らし、及川が「わかったよ」と言った。落胆とも諦念とも縁遠い、とりわけ明るい声だった。
「いいよ、気にしなくて。困らせてごめんね」
「はい……」
遮光カーテンの閉め切られた広い部屋を、濃い静寂が通り抜ける。「そういえば、明日は晴れだったな」などと、どうでもいいことをつらつらと考える。
「ねえ、チビちゃん」
「はい?」
「『ずっと、お前のことが好きだった』って言ったら怒る?」
「は?」
どう答えたらよいのか考えあぐねた結果、「……嘘つかないでください」という低い声が出た。まるで、激怒したときの影山のような声だった。
「うわ、チビちゃん、やっぱり怒ってる? 飛雄みたいな不機嫌な声なんか出しちゃって……」
「そりゃ怒りますよ。その手の冗談、おれ嫌ってますから」
仲のいい友達から女の子扱いされても、軽い怒りを覚えるのだ。ほぼ他人ともいえる及川に告白などされたら、不愉快に感じて当然である。
しかし、及川は言うのだ。「ずっと好きだったよ」と。「練習試合のときから、チビちゃんのことばかり考えてた」と……。
「清水先輩のほうが好きなくせに……」
「あはは、やっぱり嫉妬してるんだ」
「違います!」即座に否定する。
「嘘つかなくていいよ。俺は嫉妬に狂うチビちゃんを、一度でいいから見てみたい」
懐に抱き込まれながら、日向はおおいにすねた。意地悪なひとだと前々から思っていたが、どうやら、彼の性格の悪さは自分の予想を大幅に超えていたらしい。
しばらく無言を通していたところ、
「ごめんね」
というしおらしい響きが、雪のように柔らかく降ってきた。
「最初にマネちゃんに惹かれていたのは、事実だよ。俺だって、女の子のほうが好きだもん」
「……」
「でもあのあと、すぐにマネちゃんのことはどうでもよくなったよ。試合の最中のチビちゃんを見たらさ、いろいろと惹かれるものを感じて、それで──『この子と組めたら楽しいだろうな』って思ったんだ」
「……それって、『選手として』おれのことが好きって意味ですか?」
「『恋をした』という意味でも、お前のことが好きになったけど?」
蜜柑色の髪に触れていた唇が、額に、鼻先に、それから──口唇にも、触れた。色事に長けていそうな彼からは想像もつかないほどの、優しく、儚げなキスであった。まるでおびえる幼子をなだめるような、親密さにあふれたキスでもあった。
「俺とこうするの、……嫌?」
目線を少し上げたのち、日向は少したじろいだ。
さきほどまでの浮かれた表情は、もう視界の中にはなかった。目に映る及川は、試合中にするような、恐ろしく真摯な顔つきを浮かべていたのである。
「本気なんだよ。すごく本気出して口説いてんの」
言われなくても、目を見ればわかった。彼がどれだけ日向を想ってきたか、愛してきたか、慈しんできたか──そこはかとなく理解できた。
だから、腕を払えなかった。逃げるつもりにすらなれなかった。「冗談でしょう?」とおどけるなんて、とんでもないことだった。
目を見ればわかる。「大王様は本気なんだ」と。
「でも、おれ、男は……、恋愛対象に入れてなくて……」
小声で応じる。
すると、
「じゃあ、比べてみよっか」
と耳許でささやかれた。
「お前を襲った男と俺、どちらがいいか比べてみなよ」
「そんな……」
「返事は?」
再び、鋭い目で命じられる。冷酷とも冷徹ともいえる非情な目つきに貫かれ、日向はしばらくの間押し黙った。

4 爆発する星の光

ゆるやかな手つきで、身にまとっていた衣服を脱がされた。瞬く間に布団の上に押し倒され、抱きしめられ、全裸にされ、くちづけられ、日向はおおいに困惑した。
「なんか、変だ……」
素肌に直接触れるシーツの感触にも、激しい戸惑いを覚えた。裸で眠ったことなんて、生まれて間もない頃ぐらいしかない。……もっとも、その記憶もおぼろなものに過ぎないのだけれど。
「変ってなにが」
及川は笑っている。余裕の足りた笑みである。
窓の外は、風のそよぎすら聞こえないほどの静けさを保っている。
「いまの言葉の意味は、なに?」
重ね重ね問われたが、日向はあえて口を閉ざした。「他人と寝た経験がないとばれたら、またからかわれてしまう」と予想したためである。
「返事は?」
肌に利き手を這わせながら、及川が命令する。声そのものは親しげだが、有無を言わさぬ迫力が底にこもっている。
仕方なく素直に理由を教えた。
静けさがまた、室内を通り抜ける。
──数秒後、予感は当たった。悲しくなるほどに的中した。
答えを聞いた及川の高い笑い声が、羞恥心と反発心を強くかき立てる。
「チビちゃん、女の子とも寝たことないの?」
「……」
「ありません」と答えるのも心苦しかったので、答えずに視線をわずかにそらした。
その間も及川は日向の体を味わうように、素肌に次々、キスを落とす。時折強めに吸っては、日焼けの目立たぬ肌にいくつかの鬱血痕《うっけつこん》を残すのだ。
なぜだろう──こうして宝物のように大事に扱われていると、まるで自分が女の子になってしまったような気分になる。女でないのに女にされてしまったような背徳感と倒錯感に、同時に見舞われる。
「もっとひどくされたい」と願った。これではまるで恋人同士の交わりのようではないか。──自分たちはたんなるライバル同士であって、それ以上の関係にはなれないのに。
彼の気持ちに応えようとか考えていないのに……。
「ごめんね」
耳のすぐ傍でささやかれ、日向は思わず身を硬くした。「やけに喉が渇く」となぜかしら、感じる。心臓が強烈に跳ね、さらなる緊張を体に伝える。──そして心もやはり、緊張にさらされてしまうのだ。
「心音、すごく速いね。大丈夫だよ。悪いようにはしないから」
「ひどいことを言うひとだ」と胸のうちでやり返した。勝手に現れて、勝手に屋敷に連れ込んで、勝手に抱いて、勝手に愛をささやいて──、本当にひどいひとだ。
しかし、それでも無抵抗に甘んじた。手足をばたつかせたり、全身をくねらせたりして抗えば逃げられたかもしれないが、しかし、ここでおとなしく引き下がるほど日向はやわでなかった。
挑まれたからには、受けて立つのが男だ。だから逃げない。逃げたら負けるだけだから。
まさか再び、同性と寝るとは想像もしていなかったけれど。
でも、いま行っているセックスは夢でなく、幻想でなく、妄想でもない。残念な話だが、すべては現実だ。実際に起こっていることなのだ……。
「やるならさっさとやってください。……そして、おれを早く解放してください」
必死になって、懇願の言葉を並べ立てる。だがそれは、相手の優越を増幅させるのみであった。
及川が笑う──実に愉快そうに高らかな声を上げ、打ち笑う。
「せっかちだねえ、チビちゃんは。そんなこと言わないで、俺といっしょに楽しもうよ」
「楽しむってそんな……」
そんなはしたない真似、できるはずがない。男同士の性交を純粋に愉しむほど、日向はふしだらではない。
なのに、体は淫らに拓いていく。持ち主の意志に反してひとりでに足が開き、及川を受け入れようとする。
急流のように鳴る心音が、おののく心をさらに追いつめる。激しさを増す鼓動と動悸、それから高まりゆく体温が、「恥じらい」という概念を日向に教えた。
(……恥じらってる? おれが? そんな馬鹿な)
男に抱かれるだけで、女のように反応してしまうのはなぜだろう。要領の悪い頭で考えてみるが、どうにも答えは見つからない。
そもそも日向はどちらかというと、さほど聡くないのだ。試合中は野性的な勘が働くけれど、コートの外ではうまく直感を扱えたためしがない。悲しい予感や悪い予感なら、何度か当てたことはあるのだが──。
ふいに目の前がかげった。それから──、唇に、柔らかな感触が触れた。と同時に、蜜のように甘いにおいが鼻孔をくすぐる。
声が出ない。
というよりも、出せない。
息を奪うほどの熱いくちづけを無理やりに与えられているのだ。声なんて出せるはずがない。
以前にも暗がりにて、男とキスをした。小学生の頃、知らない男とキスをした。
けれどあのときのキスといまのキスとでは、甘さも破壊力もまるで違う。
男とキスしたときは、「唇と唇が触れ合った」とだけしか認識できなかった。いとおしさなどちっとも覚えなかったし、さしたる快感も得なかった。
だが及川とキスしていると、──やけに喉が渇く。心も渇く。全身の毛穴から汗が吹き出し、力強い興奮を日向当人に知らしめるのだ。
「……ん……っ」
押し込まれる唾液を抗いもせずに、飲み下す。味なんてしなかった。だのになぜか、「おいしい」と感じた。
触れられている場所のすべてが、尋常でない熱に浮かされている。髪をいじる細指にも、腰をいだく腕にも、擦れる胸板にも発作のように強い感情をいだいた。
それは、はじめて知る「欲情」という衝動だった。
一方的なキスには飽いていたはずなのに、身も心もこぞって及川の唇を求めている。与えられる情欲に、全霊をもって応えはじめている。
軽いリップ音を立てたのちに、唇は離れた。濡れそぼった呼吸音が、ふたつの口より同時に漏れる。
「気持ちよかった?」
「べつに……」
精いっぱいの抵抗を言葉に変える。しかし、瞳は潤う一方だ。下半身だってすでに勃ち上がりかけている。
こんなに強く抱き合っていたら、肉体の変化などすぐに気取《けど》られてしまうだろう。
日向は軽く、下唇を噛む。
「……あ、その気になってくれたみたいだね」
「嬉しい」という呟きが続く。羞恥と緊張がますます高まる。
尖り出した乳首を胸ごと揉みしだかれた。新たな性感が生じる。無意識のうちに喘ぎがこぼれた。
恥じらう心が加速する。同性に抱かれたぐらいで、どうして女性みたいな反応を取ってしまうのか。ふだんの自分を──明るくて豪胆な自分を見失ってしまうのはなにゆえか。
戸惑う日向を軽く無視して、及川が胸への刺激を繰り出す。彼の爪は綺麗に切りそろえられている。
つままれ、潰され、愛でられ、なぶられ、──それから、口に含まれた。生き物のようにうごめく舌が、男の器官を「感じる場所」に変えていく。
唇に挟まれた部分が微々たる痺れに襲われる。右乳首を源とした快感が、危うい悦楽を全身に行きわたらせる。
「駄目だ」とうめいた。低くうめいた。
だって、自分は男なのだ──愛する側に立つべき人間なのだ。同性に愛されて悦ぶなんて、自分でもどうかしていると思う。……よがるおのれの姿を、恥じらいに肌を熱くする自分の姿を、どうしても認めたくない。
──だけど。
否認したがる一方で勘づいてもいるのだ。羞恥と緊張の真裏《まうら》に、淫靡《いんび》な期待感が隠れていることを、心のどこかですでに察している。
期待なんかしてはいけないのに。
この行為に愛を覚えてはいけないのに。
「認めなよ」
濡れた亀頭を淫らなリズムで揉み込みながら、及川が言う。
「俺のことが好きだと認めたら、楽になれるよ」
ためらいがちに首を振り、拒絶の意思を表した。
認めるわけにはいかなかった──男としての意地やプライドを死守するためにも。雄と対をなす存在に、堕とされないためにも。
このとき、日向ははじめて、「男でありながらにして雌にされる恐怖」を知った。その想いに明白さが加わったのは、扱かれた性器から体液があふれたあとだ。
何度も何度も執拗にいたぶられたのにも関わらず、体は明らかに悦んでいた。「もっと、……もっと犯されたい」という望みをいだきはじめていた。
いっそ自由に翻弄されてしまいたい。
自身の願いと相反する気持ちが、胸の片隅に生まれる。兆した熱情はやがて、「雌にされる恐怖」をおおいに凌駕《りょうが》していく。
止められない。
心と体が愛されたがって焦れてしまう。……男に愛されても不毛なだけなのに。
ふいに、心許ない異物感が後ろをたっぷりくつろげた。
「あ……っ、……、」
精液の付着した指で中を暴かれ、強い喘ぎをこぼす。口を手で押さえたいが、どうしても指が動かない。まるで、見えない腕に固定されているかのようだ──指のみならず、体にも力が入らない。
肉体を司るなにもかもが愛撫に反応し、すっかり弛緩しきっている。
日向は泣いた。少女のように高く啼《な》きながら、与えられる快楽に溺れた。心底、身悶えした。
組み敷かれた体が屈服の悦びを求め、細かく打ち震える。みずから吐き出した精液で潤っていく蕾はやがてほころび、性器を受け入れるための器官へと変えられていく。
管《くだ》のように細い指が中をかき回すたびに、みっともない嬌声があふれた。男が出すべき声ではなかった。
「前も後ろもすごく濡れてる。腰も動いてるし。……気持ちよさそうだね」
濡れた呼気を連続して吐き出しながら、日向は及川の目を見た。そして彼の顔から、余裕の笑みが消えていることを知る。
獲物を食らうケモノのように貪欲かつ獰猛なまなざしが、ぎらつくように光っていた。それはまさしく、「雌」を犯す「雄」の目だった。
雄々しい色香に当てられて、くつろげられた部分が疼く。なにかもっと太いものを入れられたがって、腰が勝手に動いてしまう。
「駄目……」
「嘘ばっかり」
くす、と耳許で笑われた──。そのときだった。
「ああ……っ……、……っ」
膨大な熱を秘めたペニスが、女性器を模した場所に深々と入り込んできた。
「あ……、ああ……」
圧倒的な質量と熱量を半ば強制的にくわえ込まされ、日向は激しくすすり泣く。「男に犯されている」といういびつな快感が、涙腺をいたく刺激するのだ。
(ああ、「女」にされてしまった)
揺さぶりをしつこく加えられながら、──奥の奥まで愛されながら、悔しさに涙を流す。けれど、反面、嬉しがる自分もいるから困る。
丁寧に積み上げてきた価値観を、木っ端微塵に打ち砕かれた。狂気にも似た愛情を全身に浴びせられると喉がさらに渇いた。
片手でおとがいを持ち上げられ、唇を舌でこじ開けられ、ぬるつく唾液をゆっくり流し込まれる。目もくらむような快楽が体を、心を、熱く濡らす。
腰が重い。そして、だるい。こんなにいやらしい感覚を味わうのは、生まれてはじめてだ。
自慰の最中よりも強烈な性感を与えられ、幾度も喘ぐ。愛撫を受ける女の子のように、何度も何度も何回も。
「あ……、も、もう、やめ……」
「嘘ばっかり。……チビちゃん、そんな嬉しそうな顔して嫌がっても説得力ないよ」
ためらうことなく腰を押し進めながら、及川が言った。その声もまた、ケモノのようなぎらつきを含んでいる。
食われる、と思った。
破壊される、と思った。
暴風雨のように激しいセックスが、とろける五体を脅かす。苛烈とも呼べる熱を深みにまで埋められて、日向は泣いた。啼きもした。
「ねえ、例の男と俺、どっちがいい?」
腰を引きながら、及川がささやいた。「俺に犯されるほうと、あの男に犯されるほうのどちらがよかった?」
「……、」
「ねえ、チビちゃん。教えてあげようか、『あいつ』の正体」
視線を合わせる。及川が口端《くちは》を歪める。
「あいつは、俺の親戚なんだよ」
「……嘘、」
「ほんとだって。だから、俺はあいつの正体を昔から知ってたんだ。……あいつね、お前を襲った夜、自分から俺に言ったんだよ。『オレンジ色の髪をした、とてもかわいい男の子を襲ってきた』ってさ」
激しい突きで最奥を狙われながら、日向は及川の言葉を聞く。朦朧《もうろう》とする意識の中、ぎらつくケモノの声が響く。
「あいつはお前という存在に堕ちて、溺れて、──正気を失ったよ。いまは本家の座敷牢で、無気力に過ごしている。幽閉されているんだ……」
「……幽閉」
「そう、幽閉。だから、たぶん一生外には出られないんじゃないかな。性欲に溺れて我を失ってしまっているからね」
「……その言葉、信じていいんですか」
「もちろん」
器用に浅瀬を擦りながら、及川が答える。じんわり染みる愉悦と喜悦《きえつ》が、もどかしさに拍車をかける。
いつしか、ねだるように腰を動かしていた。切なさを伴った愉楽《ゆらく》が、恥じらいをいっそう強める。
「おれ、女じゃないのに……」
「女だよ、お前は」
ぴしゃりと遮られた。
「男を受け入れる器なんだよ、お前は」
先走りで湿った浅い場所を攻めながら、彼は言う。「チビちゃんはもう、俺のためのかわいい雌なんだよ」と。
「違う……、違う、違う、違う! おれは、」
「雌だよ。……こんなふうに男に抱かれてすっかり悦んじゃってるのに、それでも認めないの? 強情だね」
一度、奥を貫かれた。ひどく甘い衝撃に、「あ」という儚い声が出た。
「ほら、やっぱり悦んでる……」
蔑みをたたえた笑みが、美麗な顔をくまなく飾る。自己を見失いかけている日向をさらになぶり尽くしながら、及川がささやきをこぼした。
「ほら、チビちゃん。『及川さん、俺の中に精液を出して』っておねだりするんだよ」
「嫌だ……」
そんな恥ずかしいこと、できるはずがない。
「嫌がっても駄目だって。このままじゃ、お前も俺も永遠に快楽から抜け出せないよ? ……なんなら、途中で止めてやってもいいんだけど」
「そ、それは……」
それだけは嫌だ。
限界まで焦らされてしまっているのに、いまさらどうして中断できようか。
孔《あな》という孔をいじめられ、犯し尽くされ、──愛された。男の性器をもって、雌と化した部分を貫かれた。肥大する熱と情欲を奥まで差し込まれ、穿ち込まれた。
男に愛される幸せを、身をもって知ってしまった。
だから言った。渋々口を開き、
「……犯してください」
とだけ言った。
乱れた呼吸が、耳朶を打った。それを知覚した瞬間、
「あ……っ!」
数度続けて奥まった箇所を突かれた。肉と肉が擦れ合う感触が、ものものしい劣情を呼び覚ます。男を雌に変える凶器と化した性器が、明確な意志を携え、奥をたたく。
熱い猛りが中に沈む。沈めた熱が腰の引きにしたがって、浅瀬へと浮き上がる。それから再び、中に沈み込む。それからまた、浅みにまで浮き上がる──。
いつしか及川の首に腕を回し、彼にすがっていた。この場における唯一の導き手に、持てるすべてを委ねていた。
「愛の行為」を強要されているはずなのに、いつの間にか、おのずから腰を揺さぶっていた。羞恥を募らせる水音が、体のあちらこちらで鳴りわたる。
ふいに目の前がスパークした。及川の背の向こうに在る天井が視界から消え、代わりに、ひとつのまぼろしへと切り替わる。
──強く抱きしめられながら、精液をしたたかに浴びながら、日向が見たもの。それは広大無辺な宇宙に広がる星々であった。夏空を彩る真白い輝き──アルタイルの鮮烈な瞬きである。
爆発的に拡散する快感が、──潮のように満ちてゆく快感が幻影の宙《そら》に溶ける。眼前を彩るきらめきが、涙腺のゆるみを促進した。
「チビちゃん」
言って、及川が再度、唇を合わせてきた。舌と唾液を絡めては、はにかむように薄く微笑む。
日向は静かに涙した。
素肌と素肌を触れ合わせているだけなのに、低俗なこのやりとりにある種の尊さを覚えたから。
入念な愛撫を施される──交尾のように濃厚なセックスに、頭の先まで溺れきる。
「ああ、このひとと星が見たい」と念じるように考えた。「爆発する星の光を、このひととともに見てみたい」と心の底から願った。
満たされた体と心はやがて、宇宙の刻む命のリズムと溶け合う。許し合う。響き合う。

ご覧。
世界はこんなにも優しく、厳しく、美しい。

【了】