私はいま、恋をしています。相手は、おなじクラスに籍を置く男の子です。
好きになった理由は、自分でもよくわかりません。気づいたら、視界の片端で追うようになっていました。
……え、名前? 私の名前ですか?
本当は匿名で押し通したいのですが、そうですね、「エス」とでも名乗っておきましょうか。私、吉屋信子さんの小説、好きなんですよね。「少女同士の叶わぬ恋」という、耽美な世界観が好きで……って、私のことなんてどうでもいいか。
とにもかくにも、私は恋をしています。
相手の名前は、日向くん──男子バレー部で大活躍中の、とっても明るい男の子です。
日向くんは、授業中でもそれ以外のときでも、とても目立つ存在です。「日向」という苗字が示すがごとく、太陽のように明るいひとです。
なりはとってもちっちゃいけれど、周りの人間を圧倒するほど強くてたくましくて、そしてパワフルです。それにたくさん笑います。
感情の振り幅がおおきいので泣くことも落ち込むことも結構あるけれど、自力で這い上がるタフさも持ち合わせています。いつまでもくよくよしたりせず、またお日様のように力強く笑い出すのです。
彼は猫のようにくるくると表情を変えては、クラスメイトの誰とも平等に接し、元気と愛想を振りまきます。その笑顔にも泣き顔にも嘘はありません。人前で姑息な演技をするほど、彼は器用じゃありませんから。
だから、好きなんです。彼のことが。
まっさらな心で他人にぶつかっていく日向くんの姿を見ていると、私の中の頑なな部分が──樹氷のように頑なな部分が、少しずつ少しずつ溶け崩れていきます。
入学式から二ヶ月ほど過ぎたいま、私の心の中心には日向くんがいます。
互いに会話したことはほんのちょっとしかないけれど、それでも──好きなんです。
すごく。
「……彼氏?」
晩春。
クラスメイトの大勢いる教室にて、友人の言葉を耳にしたとき、私は思わず聞き返しました。想像以上におおきな声を出してしまったけれど、聞きとがめるひとは誰もいませんでした。
というのも、私が友と喋ったとき、すでに授業は終わっていたのです。
放課後独特の開放感が室内をくまなく覆う中、私たちはやや大声で話しました。でないと、周囲で立つ声たちにかき消されそうにになるかもしれなかったのです。
とにもかくにも、「彼氏」という単語を聞いたとき、私はとてもびっくりしました。日向くんと「彼氏」というキーワードが結びつくとは、到底考えられなかったからです。
「そう。日向、彼氏がいるかもしれないって噂だよ」
驚きたじろぐ私の反応をよそに、友人が淡々と言葉を放ちます。
「こないだ、公園で男とキスしていたってさ。六組の子が見たらしいけど」
「……」
帰り支度をしていた手が、ぴたりと止まりました。いや、止めざるを得なかったのでしょうか。
だって、仕方ないでしょう。
片思いの相手が同性と外でキスしていたなんて、……どうリアクションを取ればいいか混乱してしまうのが、筋ってものでしょう。
そう、混乱。
このとき、私は混乱をしていたのです。
「好きになったひとが──初恋のひとが、同性と外でキスをするようなひとだった」と知らされ、なんとも言えない気分に陥ったのです。
念のため断っておきますが、同性愛に対する偏見は特に持っていません。その手のマンガや小説やドラマはむしろ、好きです。男同士だろうが女同士だろうが、恋する心はそのひとの自由だと思うのです。
……でも、「身近なひとの中に該当者がいた」と知ったときは、さすがに戸惑いました。まあ、たんなる噂でしかないので、現時点ではコメントのしようがないのですが──。
「……でさ、聞いてよ。日向の相手って、結構有名なひとだったんだよ。噂に疎いあんたでも、名前知ってるんじゃないかな」
「誰?」
衝撃にくらむ頭を必死の思いでなだめながら、私は尋ねます。すると、友人は次の瞬間、なにげない調子でこう言ってのけたのでした。
「青城の及川さん。……県内でも有名なイケメンだから、名前ぐらいなら聞いたことあるんじゃない?」
恋心というものはつくづく、恐ろしいものですね。
というのも、例の噂に触れたその日、私、日向くんを尾行したのです。
「日向くんが──大好きなひとが男と、それも敵の主将とキスしていた」噂が事実か否か確かめるために、行動を起こしたのです。あまり威張れた話ではありませんが……。
自分で言うのもなんですが、私はとても影が薄いので、人様から存在を気取られる心配はありません。十分前に待ち合わせ場所に到着したのに、友人たちに気づかれず、置いてけぼりにされた経験があります。
まあ、それは別の機会に語るとして。
日向くんを尾行するにあたって、「目立たない」「他人から気づかれにくい」という自分の「特性」はおおいに役に立ちました。
体育館の中をうかがっていたときも、帰路に就く日向くんを追ったときも、ばれずに済んだのですから──。
「それにしても、」と私は訝りました。
日向くんの様子が明らかにおかしいのです。なぜでしょうか、しょっちゅうそわそわしているのです──体育館を後にしたそのときから、ずっと。
「またお腹でも壊したのかな……」
ひとり呟きながら、電柱の陰に隠れました。そんな私を見とがめるひとは、誰もいませんでした。
それもそのはず、通行人は皆無でした。緑豊かな舗装路の上にいるのは、私と、数人のバレー部部員たちのみだったのです。
談笑する彼らをぼんやりと観察していたところ、
「……落ち着きがねえな」
バレー部の部員が──たしか、影山くんとか言った子が冷静な表情で言いました。
「どうせ、あのひとと待ち合わせでもしてるんだろ。早く行ってやれよ」
「べ、べつに! お前なんかに言われなくても行ってやるよ!」
日向くんの頬は、熟したりんごのように真っ赤です。
「お前の恋愛事情にはまったく興味はねえが、とりあえず、あのひとを怒らせるのだけはやめとけよ。ややこしいことになるだろうから」
「お前に言われなくてもわかってるってば……!」
スポーツバッグを握り直した日向くんが、集団から徐々に離れていきます。
「日向ぁ。明日の朝練、遅れんなよー!」
顔にそばかすのある男の子が、遠くから呼びかけました。
その声に日向くんが、
「山口も遅れんなよー!」
と応じます。
そうして、彼は完全に集団から離れました。
豊かな緑に囲まれた舗装路の上を、彼は歩きます。それを追って、私も歩きました──もちろん、気配を悟られぬよう、慎重に。指先にまで神経を行き渡らせては、日向くんの背中を真剣に追ったのです。
「日向くんが歩いて移動してくれて、助かった」と心底思いました。
彼は自転車通学生なのですが、このときはなぜか、サドルにまたがろうとすらしなかったのです。
足には自信のある私でも、自転車に乗られたらひとたまりもありません。あっという間に距離を離されること必至です。ですので、彼が自転車を押して歩いてくれて、ほっとしました。
彼は歩きます。私は、そのあとをつけます。
「大好きな男の子を尾行するなんて、とんでもない奴だ」と我ながら思います。けれど、自分の目で実際に確認するまではどうしてもあきらめきれなかったのです。
「太陽のように明るい男の子が、後ろ暗い同性愛にはまっている」なんて、とても信じられませんでしたから。
しばらく歩いたのち、私はつい、息を飲みました。
くだんの公園が、間近に見えてきたのです。
「行かないで」と、私は心の中で、日向くんの背に呼びかけました。そっちには行かないで。絶対に行かないで。君のことが大好きな女の子なら、ここにいるんだから……。だからお願い、行かないで。
けれど、願いむなしく、日向くんは公園の前に自転車を止めました。そうして、奥へと歩んでいったのです。
行くか引き返すか、迷いました。
「真相を知りたいのはやまやまだけれど、これ以上深入りするのは危険かもしれない」と思いました。
心臓が、壊れそうなぐらい、激しく存在を主張し出しました。
いつしか、私は震えていました。
さんざん悩んだあげく、結局、尾行を続けました。
幸いなことに、日向くんをすぐに見つけることができました。それもそのはず、彼の明るい髪色はどこにいても目立つのです。どこにいても。
オレンジ色の髪をしるべにして、私は彼の後を追いました。木陰に身を隠しながら、前へ前へと進みました。
数分ほど歩いた矢先、公園のいちばん奥とも呼べる場所──少し開けた場所に出ました。
そこにいた人物を見て、心臓が疼くように跳ねました。
……青城の及川さんがそこにいたのです。
彼も練習帰りなのでしょう、ジャージ姿でした。けれど、その表情は疲れとは無縁でした。むしろ、ほがらかに笑ってさえいました。
「及川さん」
嬉しそうな声を上げ、日向くんが及川さんに抱きつきます。
「チビちゃん、遅かったね」
及川さんもまた、日向くんをいとおしげに抱きます。それから、キスをひとつ、しました。頬でなく、額でもなく、唇に──そう、及川さんの唇と日向くんの唇が隙間なく重なったのです。
長い時間が過ぎた、と思いました。
ふたりがキスにかけた時間は、とても長いもののように思われました。
しかし、実際はそうではなかったのかもしれません。混乱のあまり、私の時間感覚に狂いが生じたのかもしれません。
とにかく、ふたりはキスをしました。公園の奥で、……誰の干渉も受けぬ場所で。ひとの来ぬ場所で。
「おれだって、及川さんに早く逢いたかったんですよ」
はきはきした声で、日向くんが及川さんに言います。
「でも、練習をさぼるわけには行かなかったんです。そういうの、及川さん、嫌いだし」
「うん。練習を真面目にしない子は駄目だね」
及川さんがもっともらしくうなずきます。そして日向くんのうなじにそっと鼻先をうずめ、
「……チビちゃんの汗のにおいがする……」
とささやくように呟きました。
「ねえ、チビちゃん。……していい?」
「していいって、なにを」
「セックス」
日向くんの体が、びくりと震えました。はずみで、スポーツバッグが肩からずり落ちます。
「……セ、セックスだなんて……! 及川さん、ここ、外っす……!」
「うん、そう、外だよね。でも俺はすぐにでもしたいわけ」
「いつもはキスしかしないのに、なんで……」
「さあ? なんでだろうね」
なにが楽しいのでしょう、及川さんはすこぶる機嫌よさそうです。
ですが、一方の日向くんはというと、これがまた、かわいそうになるぐらい顔を青くしています。
「ひどい」と、私の口から非難の呟きが漏れました。外での性交を強要するなんて、なんてひどいひとなんだろう──と。
もとより、私は及川さんにいい心証を持っていませんでした。どことなく浮ついた雰囲気があるし、性格がひどいともっぱらという噂なので、あまり好きにはなれなかったのです。
だから、ふたりがキスしている現場を押さえたとき、とても複雑な気分を味わいました。
前にも断ったように、「男同士の恋愛」そのものに対して、さしたる偏見は持っていません。同性同士でも、互いに好き合っているのならばそれでよいと思います。
けれど、日向くん──あまりにも相手が悪すぎる。容姿の良さと性格の悪さで有名な及川さんと恋仲になるなんて、あまりにも勇気がありすぎます……!
惑う私をよそに、及川さんは日向くんの耳許に口を近づけます。そして、ねっとりとした甘い声で、
「しようよ。俺と」
と誘いました。傍観者たる私でもどきどきしちゃうほどの、官能に満ちた声でした。
しばらくの間黙り込んでいた日向くんが、ゆっくりと口を開きます。そして一言、
「お、及川さんがしたいのなら……」
と言いました。
及川さんが、さらに嬉しそうな表情を浮かべます。
「じゃあ、チビちゃん。後ろ向いて。そこの木に手をついて」
樹齢数百年はあるかと思われるイチョウの木を、及川さんは指さしました。
日向くんは抵抗をしません。ゆるゆるとした足取りで示された方角へと歩き、言われたとおりの行動を取ります。
「……かわいい」
後ろから、及川さんが抱きつきます。日向くんのパーカの裾から手を入れつつ、
「かわいい」と、耳許で何度も繰り返します。
どきん、と心臓が再び強く鳴り出しました。女の子のようによがり出し始めた日向くんを見て、私の心までもが興奮してしまったのです。
胸の位置までパーカをまくり上げられてよがる日向くんを見つめていたら、なんだか、私までも変な気持ちになってきました。
とはいえ、性的な興奮を覚えたのではありません。「第三者のセックスをのぞき見している」というほの暗い快感が、私の胸を熱く高揚させたのです。
うなじに呼気を吹きかけられながら、両の乳首をいじられる日向くんは信じがたいほど、艶やかな表情をしていました。教室や体育館で見せる明朗な明るさは、そこにありませんでした。
女の子のように高い声で甘えて啼く一匹の「雌」と化していました。私の知る日向くんは、すっかりどこぞへと消え失せてしまったようでした。
何度も何度も執拗に乳首をいじめ抜きながら、及川さんは空いた手で、日向くんのズボンを引き下ろしました。
あまりの出来事に目を逸らしたい衝動に駆られましたが、結局、視線をずらすことさえできませんでした。「好きな男の子が犯される現場なんて見たくもない」という思いと、「この続きが気になる」というふたつの思いが真正面からぶつかり合ったのです。
ほんの少しだけ、好奇心が勝《まさ》ったので、私は観察を続行しました。おそらくは及川さん以外は見たことがないであろう日向くんの表情に、私も魅せられつつあったのです。
ちいさな体をさらに縮め、切なげに眉を寄せながら喘ぐ日向くんは、女の子よりもずっとたおやかで美しく、可憐で悩ましいものでした。いっそ、「色っぽい」と表現してもよいほどでした。
明るくて無邪気な「日向翔陽」は、もはやどこにもいませんでした。妖しい色気に満ちあふれた「ちいさなケモノ」が、目の前にいました。
そのケモノは及川さんの名をしきりに呼び、続きをねだりました。
及川さんがそれに応えます。片手で乳首を、もう片方の手で性器をなぶっては、
「チビちゃん……」
と熱くささやきかけます。見れば、彼の瞳もまた、ケモノのようにぎらついていました。
まさしく、雌と対をなす雄でした──及川さんの目も、声も、佇《たたず》まいも。雌に服従と快楽を教え込む一匹の雄、──それが彼、及川さんだったのです。
「ここにいてはいけない」と頭の中で誰かが言いました。「ここにいたら、とんでもないものを目にする羽目になる」と。
けれど、このとき、私の手足は棒のように固まっていました。指先を動かすことさえ、もはや不可能でした。
好奇心はいまだ衰えず、むしろ増大するばかりでした。私は……、つがいのように睦み合うふたりにすっかり、魂を奪われていたのです。美しくも大胆な性交を目の当たりにして、ただただ圧倒されてしまったのでした。
「……っ、……ん……」
日向くんが喘ぎます。女の子のように甘い声を出します。及川さんのおおきな手で性器を揉まれ、擦られ、扱かれて、啼くように悶えます。
風すら吹かない公園に、ずちゅずちゅというちいさな水音が響きます。
わずかな粘りを帯びたその音は、日向くんが感じているなによりの証拠なのでしょう。音がひとつ鳴るたびに、──性器を一度擦られるたびに、彼は瞳を妖しく瞬かせるのですから……。
ほどよい厚みを持つ手が──舞い手のように優雅に動く手が、下半身を遠慮なくなぶります。少し離れた木陰からでも、膨張してゆく性器の様子がうかがえます。
日向くんがわずかに身をよじります。けれど、及川さんはそれを難なく押さえつけました。
「あ、あ……、」
日向くんのちいさな体が、ぶるりとおおきく震えます。
「あ、ああ……っ、」
なんとも形容しがたい嬌声をひとつ上げ、日向くんが達しました。はあはあと肩で息をしては、目の前にそびえるイチョウの木に必死にしがみつきます。
果てたばかりで辛いだろうに、及川さんはなおも容赦しません。
「ごめんね」
と口にはしたものの、すぐさま、後ろに指を数本ねじこみました。
「ひ……、っ」
日向くんの体が、またもおおきく震えました。
「及川さん、駄目、まだ無理……」
──しかし、彼という少年は、見た目以上に健気な性格をしているようです。どんなにいたぶられても、唇を噛んでじっと我慢するのですから。恋人の前では、無抵抗を貫き通すのですから──。
……やがて、日向くんが、娼婦顔負けの淫らな声を上げ始めました。
お日様みたいに明るい日向くんと妖しく啼く日向くんが一致しなくて、私は何度も戸惑いました。「めまぐるしく展開してゆく眼前の光景が、いっそ夢であれば」とすら願いました。
けれど、すべては現実です。
麗らかな晩春の日射しも、暮れゆく太陽も、蒸れる草いきれも、男に抱かれて喘ぐ日向くんも──夢ではありません。現実です。私の五感がたしかに感じ取っていることなのです。
及川さんがズボンを少し、引き下ろしました。そのときでした。
(……え)
一瞬だけ、彼が私のいるほうに目をやりました。
嘘ではありません。本当に、たった一瞬だけこちらを見たのです。余裕の笑みを差し向けてきたのです……!
心臓がまたも、派手に鳴りました。
「ばれているんだろうか。でも、まさか」と私は焦りました。
だって、私はちゃんと木陰に隠れているのです。しかも私は ……自慢じゃありませんが、気配を隠すことに関しては異様に長けているのです。だから見つかるわけがないのです。
混乱する私をよそに、及川さんは再び動き出しました。日向くんの中に自身を挿入しては、背後から揺さぶりをかけます。
まずはちいさく、ゆったりと──日向くんの体に快楽を刻み込みます。「大好きだよ、チビちゃん」とささやいては、日向くんの体内にあるであろう前立腺を狙います。
私は、その場に倒れそうになりました。好きな男の子が同性に抱かれている現場を前にし、正気をなくしそうになりました。「これは嘘、嘘なんだ……!」と何回も叫びそうになりました。涙をこぼしそうになりました。
しかし、目の前の日向くんはとても気持ちよさそうな顔をしています。「及川さん、もっと……」と一途にねだりを入れ、真後ろに立つ及川さんにひたすら甘えているのです。
それは実に信じがたい景色でした。
男に甘えている日向くんも。
日向くんの体をケモノのように抱き潰している及川さんも。
高まる性欲とほとばしる愛情を分け合うセックスも。
……とても信じがたい景色でした。少なくとも、私自身にとっては認めがたいものでした。
けれど、幸せそうに身を委ねる日向くんを見ていたら、なんだかどうでもよくなってきました。「及川さんとの恋を邪魔してやろう」とか、「女の子の良さを教えてやろう」とか、そういう意地悪な考えは泡のように消えていきました。
どう見ても、ふたりは両思いなのです。愛し合っている様子が、心を通わせている空気が、少し離れた場所にいる私にも伝わってくるのです。
日向くんを貫きながら、及川さんが体を揺すります。そして、──またも私を見ました。今度は、長い時間をかけて見つめてきました。「長い」といっても、たった十秒ほどでしたけれど。
しかし、それで、私は確信しました。「及川さんは──私の存在に気づいている」と。そして、「日向くんはなんにも気づいていないのだ」ということも。
だって、日向くんったら、女の子みたいに高く喘いでいるんです。抱かれる悦びに没頭しているんです。だらしなく口を開けては、発情期の動物みたいにひたすら啼いているんです。
「チビちゃん、大好き……」及川さんがささやきます。
「おれも、……おれも、及川さんのことが好きです……」日向くんが答えます。
「ほんと? ……信じていいの?」
日向くんがこくりとうなずきます。陶然とした表情でイチョウの木にしがみつきながら、
「おれ、及川さんにだったらなにされてもいい……」
と呟きます。その間も揺さぶりは続いています。
「大好きだよ、チビちゃん……」
絶頂が近いのでしょう、──ふたりとも無言になりました。肉同士がぶつかる音と擦れる衣服の音が、静かな園内にちいさく響きます。
ふたりの腰の動きが、細かなものに成り変わっていきます。日向くんの嬌声もまた、高くなってゆきます。ずちゅずちゅといういやらしい水音が、ひっきりなしに聞こえます。
どこかで、カラスがゆったりとした鳴き声を放ちました。
──と。
「あ、あああ……、」
先に日向くんが、数秒遅れて及川さんが極みへと達しました。はあはあと呼吸を荒げるふたりは、まるで一組対のつがいのようで、……とてもお似合い、でした。私が入る余地はまったくありませんでした。
事後、キスをするふたりは、とても幸せそうだったのです。割り込むなんて無粋な真似、私にはとてもできません。
それに、「女」であることは武器にはならないのです──「同性との恋愛」を選んだ彼らにとっては。
日向くんは及川さんを、及川さんは日向くんを選んだのです。誰に強制されたのでもなく、おそらくは自分自身の意志で。
私こと「エス」の恋は、こうして終わりを告げました。けれど、不思議と腹立たしさは感じません。
男同士だろうが女同士だろうが異性同士だろうが、「好き」という感情が通じ合っていればそれでよいと思いますから。
日向くんは及川さんを選び、及川さんは日向くんを選んだ──ただそれだけのことです。
だから、私は祈ります。彼らの愛が末長く続くことを。彼らの身にずっと、平穏が訪れることを。
だって、しょうがないでしょう?
名もなきモブの私には、祈ることしかできないのですから。
……ね?
【了】