満月の照る春の宵、日向は、本丸に通じる大門を両手で押し開いた。いつになく息が荒れているのは、「敵」との戦闘をいましがた終えたせいである。
真夜中の本丸は、しんと静まりかえっていた。野禽の鳴き交わす声すらまったく聞こえない。
風を受けてざわついているのは、庭園に咲くしだれ桜ぐらいのものである。
屋敷に続く砂利道をひとり、前に進む。けれど、数歩歩いたところで、その場にがくりとくずおれてしまった。
「……っ、」
意図せずに、呼吸が歪む。
今宵の戦闘は少々辛かった。多数の敵に単独で挑んだせいか、自慢の体力はかなり減っている。
肌身に刻まれた傷が、痛みで疼く。黒い装束はところどころ、血で濡れている。
早く。
早く屋敷に戻らねば、この傷は癒えない。意識があるうちに、自分で歩けるうちに、急いで戻らないと──。
「チビちゃん」
一陣の風が木々の葉末を震わせたそのとき、よく聞き知った声を耳にした。
おもてを上げ、よろよろと立ち上がり、相手の名を呟く。
「及川さん……」
視界のうちにあるじの姿を認めたとたん、心が少し浮き上がった。愛する男の無事を知って、安堵の吐息がこぼれる。
野袴《のばかま》を綺麗に着こなした及川が、
「おかえり。……今夜も遅かったね」
と言う。
「これがおれの役目ですから」明るい声と表情を作って、日向は答える。
ただの強がりだと自分でも意識しているのだが、どうしても弱音が吐けない。余計な心配をさせたくないから、快活な笑みをわざと繕ってしまう。
「……」
声ひとつこぼさず、及川が歩み寄ってくる。その身のこなしは、咲きにおう花のように美しい。
庭園に設けられた池が、ちゃぷりと音を立てた。暗闇の中、錦鯉《にしきごい》が跳ねたのかもしれない。もしくは風に煽られ、池のおもてが波立ったのかもしれない。
「『出撃しちゃ駄目』って、あれほど強く言ったのに……」
目の前で立ち止まった及川が、苦笑まじりに言う。すかさず、日向は、
「『敵』が本丸の近くにいたから、倒そうと思ったまでです」
と口にする。
「俺を呼べばいいのに。……チビちゃんよりも、俺の力のほうが上なんだから」
「でも、おれは刀の付喪神なんです。審神者である及川さんを守るために、ここにいるんです。あるじが刀のために戦うなんて話、聞いたことないっすよ……!」
付喪神《つくもがみ》としての生を得てからずっと、主人のために尽くしてきた。理不尽な罠にはめられても、尋常でない傷を負っても、必死に戦い続けてきた。そういう在り方を当たり前のものとして受け止めてきた。
なのに。
及川は、戦いをよしとしない。「チビちゃんが傷つくぐらいなら、俺が戦場《いくさば》に向かう」と口癖のように繰り返すほどなのだから──。
「あるじを盾にする刀なんて、ありえませんよ」
本丸に呼ばれてから、何度この台詞を口にしただろうか。
「チビちゃん、俺を見て」
呼ばれて、日向は目を上向けた。
星よりも美しい双の目を間近に見て、胸の奥が疼きを覚える。
驚くほど麗々《れいれい》しいまなざしが、こちらをうかがっている。先刻までとは違う意味で、呼吸が荒れる。
輝かしい光を宿す一対の瞳は、まっすぐ、日向だけをとらえていた。見上げていると、心身を愛撫されているような不思議な心地になる。
「おいで。手当てをしてあげる」
やんわりと、手を握られる。ほのかなぬくみを持ったてのひらに、たとえようのないいとしさを感じ、つい、
「はい」
と反射的に返事してしまった。
世に、天下五剣という名刀たちがある。帝の御物として知られるそれらには、実は、「まぼろしの六振り目」が存在した。
名は、日向翔陽──他の刀剣よりもずっと小振りな打刀である。
元は宮中で大事に保管されていたが、やがて付喪神となり、時の権力者に引き取られた。
そして、様々な主人に仕えたすえ、及川家の所有物となったのである。
部屋に入るなり、藤色の褥《しとね》に押し倒された。あまりに急な展開に、日向はつい、
「及川さん……?」
と声をあげてしまう。
けれど、相手はなにも言わない。答えない。それどころか、慣れたしぐさで衣服を次々脱がせにかかってくる。
「……あ……、」
一度、くちづけを与えられたのち、裸に剥かれた。触れる外気の涼しさに、ぶるりと体が震える。
室内を照らすものといえば、月の光のほかにない。
日向の耳許に唇を当てた及川が、
「傷、治してあげるね」
と短くささやいた。
「だ、大丈夫です! こんな傷、本丸の中にいればそのうち治るから……」
「こんなにたくさん傷ついているのに? それよりも、俺と寝れば一発で治るよ?」
「そ、それは……」
及川の言うとおりだ。
傷ついた刀は、本丸の中にいれば、少しずつ回復する。けれど、審神者の精液を体内に受ければ、すぐさま傷を癒やせるのだ。
「で、でも……」
「でも?」
「……男に抱かれるなんて恥ずかしいっす」
すると、及川が声を上げて笑った。
「いまさら、なに言ってるの? もう何回もいっしょに寝たのに」
「け、けど……」
「往生際が悪いねえ、俺のチビちゃんは」
胸の傷痕をそっと一撫《ひとな》でされ、日向は、
「……っ……、」
と低くうめいた。冷えた夜気が立ち込めているせいか、乳首が徐々に尖ってゆく。
「ほら、ちゃんと声出して」
蜜のように甘い声で命じられると、それだけで目の前がくらくらしてきた。「また、気持ちいいことをされるんだ」と考えると、生唾が次々にあふれてくる。
素肌に直接触れる敷布の感触が、さらなる羞恥を日向にもたらす。
他の男に裸を見られても平気なのに、なぜだろう、「及川に見られるのは恥ずかしい」と思っている。「急いで衣服をかき集めて、肌を隠したい」とすら願う。「この貧相な肉体に、彼を悦ばせる要素などない」と常々考えているから。
けれど、及川は目許を優しくゆるませて、
「綺麗な体だね」
と呟くのだ。垂れる汗をおいしそうに舐めては、
「チビちゃんの味だ」
と一言、感想を漏らすのだ……。
「あ……」
ほのかな光が、うっすら汗ばむ肌を包む。ものすごい速さで、創傷痕が癒えていく。
「ほらね。一発で治ったでしょ」得意げな声が降ってくる。
傷を負った刀は、本丸に戻れば回復する。けれど、審神者に触れられたほうが早くに傷が癒える──付喪神ならば、あるいは審神者ならば、誰でも知っている知識だ。
整った手が、乳首ごと胸を押し揉む。
「……っ、あ……」
いやらしい声が自然とこぼれた。
まずは右胸を、それから左胸を片手で揉み込まれる。徐々に乳首が尖りゆくのが、自分でもわかる。
「や、やだ……」
涙目で、拒絶の言葉を声にする。しかし必死の抵抗も、
「嫌じゃないでしょ」
という一言で打ち消されてしまった。
「気持ちいいことが大好きなくせに」
言って、及川が胸に顔を寄せてくる。そうして、赤く色づいた乳首を楽しげに舐める。
「……っ……、」
敏感な箇所を果敢に攻められて、甘い吐息を漏らしてしまった。ぴちゃぴちゃと犬のように舐められるたびに、手足の力が抜けてゆく。
股間に息づくものまでもが、律儀に反応を返してしまう。
しばらく胸を愛撫していた及川が、出し抜けに顔を上げ、日向の目をまっすぐ見つめてきた。
「かわいい顔になったね」
「べ、べつに……。かわいくなんかないっす」
日向は、視線を遠くに逸らした。
たどたどしい受け答えしかできないおのれが、つくづく呪わしい。
と。
「あ……っ、……、」
わずかに勃ち上がっていた性器をじかにつかまれて、日向は高い声を上げた。たった一擦《ひとす》りされただけで、幼い肉茎が硬くなる。
「駄目……っ」
再び、拒絶の言葉を形作ったが、手淫を止めるには至らなかった。
白絹《しらぎぬ》のようにすべらかな手が、硬度を増す肉茎を優しく揉みしだく。時折、頂をぐりぐりといじられると、
「あぁ…………、」
発情期のけだものにも似た、欲情まみれの声が出た。
一度、二度と丁寧にこすり上げられるたびに、蜜液が分泌される。濡れた肉塊が月の光を受けて、淫靡に輝いた。
十畳ほどの片付いた和室に、嬌声やら衣擦れの音やらが響く。それ以外に音を出すものといえば、ほかにない。
風さえ絶えた、静かな夜である。
いたずらな手が、吐精をうながすように上下する。濡れに濡れた細い肉が、さらに反応を返す。射精の時は確実に近づいている。
──と。
いったん、手が離れた。
予告なくなされた動作を訝しみ、目を向けると、
「ああ…………っ、」
よりおおきく足を開かされたあげくに、指を、入れられた。
「ごめん、チビちゃん……」
告げて、及川が指を進める。凄絶な色香を誇るその表情に魅せられて、日向はしばし、抵抗を忘れた。
狭く閉じた内部が、たちまちのうちにほころんでいく。何度も肌を重ねた仲なのだから、当然といえば当然か。
男を求めて疼く体内は、すでに及川のかたちを記憶していた。指だけでなく、男根の硬さや重さも知っている。
指が、体内を暴いてゆく。
遠慮なく奥まで貫かれ、幾度も悲鳴した。難なく急所を暴かれ、もどかしさに涙が出そうになる。
「……、……っ、」
あふれる涙はそのままに、荒れた吐息を噛み殺した。けれどそれも、より強い衝撃に──予告なしで陰茎を入れられた衝撃に阻まれてしまう。
「あ……あ……」
酸素を求める金魚のように、ひっきりなしに口を開閉する。甘くとろけた嬌声をどうしても、押し殺せない。
「ふふ、かわいい声……」
乱れた髪もそのままに、及川が腰を進める。月が照らす彼のおもては、凄絶なまでに美しい。
「……っ、ああ……」
奥の奥までえぐられて、日向は快感に身をよじる。爪先を丸めては、押し寄せる快楽の荒波に抗う。──女の人のように喘ぐのは、さすがに不本意だから。
人さし指を噛んで、必死に声を抑える。けれど、度重なる挿抜《そうばつ》にまたも根負けし、くわえた指を離してしまった。
唾液の付着した指を、及川が嬉しそうに舐める。「おいしい……」と呟いては、何度も何度もしつこいぐらいに味わう。
花の香を含んだ風が、静々と入ってくる。
またも予告なく、律動を再開された。奥まった部分にひそむ急所を重点的に攻められて、日向はちいさな喘ぎをこぼした。動かれるたびに、体内を押し広げられるたびに、涙が一粒、二粒と生まれ、頬を濡らしていく。
「あ……、あ……、」
硬く反り勃つ肉の凶器が、なかば強引に、蕾をこじ開けてゆく。
幾晩も共寝《ともね》をした仲だ──男を内部に迎える悦びならば、とうに熟知している。だから、日向はこれ以上抗わずに、ひたすら快感を追った。
血液の染みた褥《しとね》の上で、濃密な交わりを行う。同性同士でしか味わえない快感、そして背徳感にふたりして溺れる。
「……あ、……あ……っ」
たくましくそそり勃つ雄が中を擦るたびに、悦びの涙が意図せずに散った。泥のように重い悦楽が、腰の奥底で渦をなしている。
「……ん? チビちゃん、イきそうなの……?」
耳を擦るささやき声に、日向はこくこくとうなずいた。ただでさえ息苦しいのだ──まともに返事などできるはずがない。
亀頭が肉襞を広げる生々しい感触が、わずかに残った理性を荒々しく削《そ》ぎ取ってゆく。
みずから腰を振り、無言のままに続きをねだる。限界は近い。
「しょうがないね。もっと愉しみたかったけど」
言って、及川が腰の動きを強めた。小刻みな揺さぶりが、喘ぐ日向の身を襲う。
「あ……、っ……、ん……、」
惜しげもなく裸体をさらしながら、愛する者の耳に嬌声を届ける。徹底的に犯し抜かれる悦びが、五体をきつく縛る。
「あ、……、」
やがて、
──疼きを解放するそのときが来た。
びくびくと背を反らしては、中を汚《けが》す精液を受け入れる。ほぼ同時にのぼりつめた嬉しさに、声を上げて笑いそうになる。
「及川さん……」
茫洋と名を呼んだところ、唇を軽く塞がれた。
そのまま、舌と舌を絡み合わせ、さらなる快感をふたりで分け合う。
「傷は癒えたようだね」及川が言った。
「及川さんのおかげっすよ……」
心地よい疲れを全身に感じながら、日向は応える。
それからしばし見つめ合って、どちらからともなく、唇を寄せ合った。粘膜を隔てた先にあるぬくもりが嬉しくて、何度も何度も唇同士を触れ合わせる。
満月の照る春の宵は、平和のうちに更けてゆく。
ひとりの審神者と、一振りの刀を、闇のうちに優しく包み込みながら──。
【了】