愛について教えてあげたい

春が終わりを告げようとしている今日この頃、日向はすっかり落ち着きを忘れていた。授業中も部活中も浮つく気持ちが止まらなくて、いろんなひとから、
「風邪でも引いたのか?」
「悪いものでも食べたの?」
などと気遣われている始末だ。
風邪なんて引いていない。冬ならともかく、今は晩春──日が経つにつれて気温が上昇している時季だ。
それに、悪いものなんて食べた覚えだってない。幼少時は道端に生えている雑草を適当に食べて遊んでいたけれど、長じた今はやめている。
バレーをするうえで、体づくりは重要だ。おのずから胃を痛めるような愚をどうして犯せるだろうか。

「おい、日向」
夕暮れ時の体育館の片隅で、影山に声をかけられた。サーブの練習をしていた彼に見とれていた日向は、
「な、なんだよ!」
とつい、うわずった声を上げてしまう。
「……そんなにうろたえること、ねえだろうが」
「悪かったな! いきなり話しかけられてびっくりしたんだよ!」
「怒鳴ることねえだろうが、このボゲが」
「ボゲって言うな、結構気にしてんだから!」
と、そこで、
「おい、喧嘩は止めろよ」
と渋い声が割り込んできた。部長の澤村の声だった。
「部内の規律を乱すようなことをしたら……、わかってるよな?」
にっこり笑いながら釘を刺され、日向はふいにすくみ上がった。
「……う、うす……」
影山もまた、おとなしく引き下がる。
「先輩が止めに入ってくれて助かった」と、日向はこっそり安堵した。いかに我を見失っていたとはいえ、大切な「相棒」と諍いなどしたくはない。
──とはいえ。
「大切」とはいっても、むろん、ふたりは恋仲ではない。そういう意味で心を通じ合わせることなど、まずありえない。
けれど、おれたちはたしかに強い絆で、それも誰にも断ちがたい絆で結ばれている──日向はそう考えていた。
恋情や愛情を越えた地点で、二人はつながっている。それが日向から見た「両者間の関係」であった。
「日向、」
「なんだよ。腹でも壊したのか?」
「馬鹿を言え」
影山が、ふう、とため息をつく。
「……最近のお前、変だぞ」
「変って、なにが」
「そりゃあ、……うまく言えねえけど……。でも、なんか変だ。部の皆だけじゃなく、お前のことを知ってる奴らのほぼ全員がそう言ってる」
「……」
ああ、気づかれているんだ。
胸の奥に微細な痛みが生まれた。
もともと嘘をつくのは苦手だ。でも、だからこそ、気取られぬように細心の注意を払っていたというのに。
──それでも、気づかれてしまった。自身の中にひそむちいさな葛藤を、読み取られてしまった……。
「葛藤」の正体に関しては誰にも告白していないし、また、するつもりもない。「相棒」に対しても無言を貫くつもりだ。
けれど、心のどこかに、洗いざらいぶちまけてしまいたい気持ちもある。生まれて初めてかかえた「秘密」の重さに、窒息してしまいそうな心持を覚えているから。
「なんか隠してるだろ」影山が言った。彼は、ひどく真面目な顔をしていた。
「お前、嘘とかつくの下手そうだしな……。先輩や月島たちには黙っといてやるから、俺に言ってみろよ」
「言えるわけねえだろ」即答する。
皆、おのおのの練習に必死に打ち込んでいるのだろう。二人を見とがめる者はいない。マネージャーの潔子もまた、懸命に仕事に励んでいる。
「お前に言ったところでどうにもならねえよ。きっとな」
「そうか」
かげりゆく太陽が、影山の細い鼻筋に薄い陰影を与える。
「──てっきり、好きな奴でもできたのかと思ってた」
「ああ?」放った声が裏返る。
「……いや、最近のお前、ずっとそわそわしているから。勝手にそう思っていただけだ」
一瞬、時間が止まったような、奇妙な感覚を胸に覚えた。実際のところ、影山の読みは見事に当たっていたのだから……。
でも、言えない。言えるはずがない。
ライバル校の主将と恋愛関係になっただなんて、──しかも、性的な意味でも結ばれてしまっただなんて、言えるはずがない。
正直に告白などしようものなら、両校の関係者に迷惑をかけること必至だ。もしかすると、退部を命じられるかもしれない。相手側にも辛い思いをさせるかもしれない。
だから、わざと明るい笑顔を作って、
「冗談言うなよ!」
と軽口をたたいてみせた。
「彼女作るよりも試合のほうがずっと大事だろうが。影山だって、そこんところはわかってんだろ?」
「……まあ、な」
けれど、影山の表情は、依然として硬いままだ。もとより無愛想な彼であるが、今日は一段と不機嫌そうに見える。
「とにかく、なんかきついことがあったら俺に言え。もしかしたら、なにか手伝えることがあるかもしれねえからよ」
「わかった」
胸中に広がる罪悪感を無視しつつも、短く礼を述べる。しかし、淀んだ心はなおも晴れず、むしろ暗さを増していくばかりであった。
(おれは、「相棒」をも裏切ろうとしている)
考えただけで、気分が急降下していった。
影山は好奇心からでなく、親切心から日向の本音を探ろうとしている。口数が少ないうえ、愛想もさしてないからいろいろと誤解を受けやすいが、影山飛雄という男はさりげない気遣いのできる人間なのだ。
とはいえ、影山とは、特に親しい会話など交わしていない。互いの家を行き来する仲でもない。
けれど、彼の性向はなぜか、不思議と把握できる。なにが好きでなにが嫌いで、どういう信念に基づいて行動しているか──自分でも驚くほどに、「影山」という人物の心理を理解しているのである。
日向とて、安易に味方を裏切りたくはなかった。本当は今すぐにでも、本音を打ち明けてしまいたかった。
だが、それでも、言えないものは言えないのだ。
だって、まさか、「敵と心を通わせている」とは言いづらいだろう?
嘘をつくのはものすごく不得手であるが、だけど、真実だけは口にしてはいけない。あえて隠しておいたほうがいい秘密だって、この世には存在する。

さすがに影山を煙に巻くのは気が引けるけれど、でも──まことの話を語るわけにはいかない。

進学を果たしてからしばらく時を経たのち、新しい習慣が増えた。
練習試合で及川と知り合ったあと、県内有数の高級住宅街にある彼の家に通うようになったのである。
とはいっても、日向からしたら、彼の自宅は「家」というよりも、むしろ「屋敷」だといえた。檜造りの大門があるし、母屋と離れがあるし、池にはなんと、時価数千万円相当のニシキゴイが何十匹も泳いでいるのである。
彼の自室のある「離れ」もまた、日向の家よりずっと立派な建物だった。屋根はおろか、壁にも染みや汚れの跡がない。
「こんばんは」
言って、彼の自室に入る。はじめて連れ込まれたときと同様、部屋は隙なく整っていた。壁にかけられている制服にはしわひとつない。
「はい、こんばんは」
私服姿の及川が、ゆっくりと眼鏡をはずす。たったそれだけの動作がどこか浮世離れしたものに思えて、日向は一瞬、足を止めた。
──見とれてしまったのだ、つまり。
鼓動が高鳴る。息が詰まる。
「大王様って、こんなに綺麗なひとだったっけ?」と自問さえする始末だ。
照明に照らされた部屋の中、日向は及川と向かい合うかたちで座る。かれこれ数回、この部屋を訪れているのに、どうしても緊張してしまう。
スポーツバッグを下ろす手には、すでに微量の汗がにじんでいる。
「チビちゃんってば、また俺に見とれちゃったんだ」
明るい声で茶化される。
なにか言おうとして口を開きかけたが、そっと唇を引き結んだ。彼のかんばせに心を奪われていた──それは事実なのだ。だから、反論などできようはずがない。
「先にシャワーでも浴びる? それとも、俺といっしょにお風呂に入っちゃおうか?」
「……それは、あとでにします」
一言告げて、日向はスポーツバッグを畳の上に置き、そうして、──みずから及川の体に抱きついた。
ほんの数秒、及川が驚いたように身を引く。
けれど、そのあと、日向の肩を抱き寄せて、
「そんなに俺のことが欲しいの?」
と耳許でささやいてきた。恋人だけに聞かせる、甘い甘い美声であった。
一度だけ小さくうなずき、
「……大王様を、俺にください」
とささやき返す。
「そんなこと言わなくても、俺はとっくにチビちゃんのものなのに。やってないのは、お外でのデートぐらいのものなのにさ」
苦しみがふいに兆した。
「二人で外出したい」「あわよくば、外でキスでもしてみたい」という望みならば、付き合いをはじめた当初から持ち合わせていた。
だが、二人はあくまで敵同士──気安く交際をしてはいけない仲なのである。
かりに強攻策を取ったところで、双方の部活関係者を悲しませるのは目に見えている。ゆえに、この恋は限界まで秘め隠さねばならないのだった。
「俺との恋愛、苦しくなっちゃったのかな?」
「……いいえ」
及川の背に抱きついたまま、返事をする。
「大王様から告白されたときはびっくりしたけど……、今はおれのほうが大王様にはまっているって言えます」
真心をこめて、言葉を並べる。
背中を撫でる及川の手のぬくみが、いとおしくてならない。あまりに気持ちよすぎて、このまま寝入ってしまいそうになる。
「苦しさを感じているのは確かです。けど、おれは、それでも大王様のことが好きなんです。大好きなんです。だから、外で逢えなくてもいいっす……」
爽やかな夜風が、室内をゆるくかきまぜる。
夜の静けさ、美しさが、苦しみに喘いでいた日向の心を優しくほどいていく。
「チビちゃんのそういうところ、俺は好きだよ」及川が言った。
「練習試合のときからずっと気になっていたけどさ、日に日にかわいさが増しているような気がするんだよね」
「おれ、かわいくなんてないっす」
「いや、かわいいよ。油断すると飼い主に噛みつく『小さな獣』ってかんじで、ほんと、たまんないね」
「おれ、獣でもないっす」
「いいや、それは違うね。チビちゃん、自分では気づいていないんだろうけど、試合のときは凄い顔するんだから。……ほんと、油断すると大事《おおごと》になりそうって思わせるぐらい、恐ろしい顔してる」
押し黙る。
彼が言うところの「凄い顔」「恐ろしい顔」がどのような表情なのか、日向にはわからない。そもそも、朝、髪を整えるとき以外に鏡を見ることはないのだから。
「でもね、俺、そんなチビちゃんだから好きになったんだ。毎日毎日、『この小さな獣を、俺だけのものにするにはどうしたらいいんだろう』って考えてたし……」
厳かな空気が渦をなす部屋のさなか、平たい胸に耳を寄せる。かすかに聞こえる心音はまるで、彼の命をそのまま活写しているかのように、尊く響いている。
好きだ、と思った。
ずっとこのひとの傍にいたい、と願った。
あふれそうなこの想いを「恋」と呼んでいいのだろうか、と考えた。
心音の奏でる尊い響きに耳を傾けながら、日向はわずかに目を閉じた。離れていても、抱き合っていても、及川に寄せる恋情は波濤のように滴ってゆく。
「大王様」
「ん?」
「今日はおれが大王様のことを気持ちよくしたいです。……だから、脱いでください」
「俺に命令しちゃうんだ?」
「怒りましたか?」
「いや、そんなことはないよ。ただ、この俺に『脱いで』って言った子は初めてだなあと思ってさ」
「嫌ですか……?」
「大丈夫。ちっとも嫌じゃないよ」
右耳にキスをひとつ仕掛けて、及川が、
「嫌じゃないよ」
と繰り返す。星空のように澄んだ、実に美麗な笑みを満面に浮かべている。
「……じゃあ、脱ぐね」
名残惜しそうに体を離したのち、彼は一枚一枚、自身の着ている衣服を脱いでいった。
鍛え上げられた肉体が少しずつ、あらわになる。鋼のように頼もしいその肢体を見るだけで、日向は性的な昂ぶりを覚えた。
単純に見栄えがいいだけではない──実戦向きの、げにたくましい体だった。「ここまで育て上げるのに、一体どれだけの手間をかけたのだろう」と、日向は知らず感嘆する。
「やっぱり、俺に見とれちゃってるね」
嬉しそうな声で、及川が言った。
下着一枚になったその姿にすら欲情を覚え、日向はごくりと唾を飲む。
こんなに。
こんなに美しいひとがおれのものでいてくれるなんて、──おれってば、なんて幸せ者なんだろう。
先に誘惑してきたのは及川のほうだったが、いまは日向も彼に夢中になっていた。否、もしかしたら、主導権を明け渡しているのは自分のほうなのかもしれない。
けれど、それでもよかった。
大好きな大王様と一緒にいられるのならば、魂だってくれてやる。
「……で? 次はどうしたらいいの?」
「じゃあ、横になってください」
「OK」と告げて、及川が仰臥する。彼のまなざしもまた、星の瞬く夜空のように優しい。
完全に横になったのを見計らってから、日向は、
「失礼します」
と言い、彼の上にまたがった。なるべく体重をかけないように気をつけつつ、
「あの……、おれ、絶対に気持ちよくしますから」
と声をかける。
「うん。……大丈夫だよ、チビちゃんはいい子なんだから」
見上げる及川は、どこまでも美々しい瞳をしている。
日向は、すう、と息を吸い込んだ。そして上半身を覆う衣服を脱ぐと、及川のうなじに唇を寄せた。
「……っ……、」
くすぐったさを感じたのだろうか、それとも興奮したのだろうか、及川が束の間、息を詰めた。
「すみません……」
謝りながらも、乾いた素肌に唇を這わせる。右の耳たぶをゆるやかに噛みつつ、左手で恋人の胸に手をやる。手のひら全体をくっつけては、丁寧に皮膚を撫でる。
「マッサージされてるみたい……」
うっとりとした声音で、及川が感想を漏らした。日向はそれに応えず、拙い愛撫を継続する。
実際のところ、会話を交わすだけの余裕などあるはずがなかった。大好きなひとの大好きなにおいを嗅ぎながら、行為に及んでいるのだ──触れているこちらが、卑猥な熱を覚えてしまいそうになる。
くちゅくちゅと音を立てながら、耳たぶをなぶるように愛する。左の手もまた、及川の胸を愛する。
(ああ、早くつながってしまいたい)
だが、「今日は絶対に、大王様を気持ちよくする」と決めているのだ。ひとりよがりな快感を追うわけにはいかない。
右耳から唇を離し、今度は左の耳朶を口に含む。まろい耳殻を犬のように舐めては、愛情の強さを伝えんとする。
「チビちゃん。無理しなくていいんだよ?」
「無理なんて、……してません」
しかし、実のところはかなり無理をしていた。けれどあえて、愛撫を続けた。
勉強を教えてくれるのも及川で、愛情を与えてくれるのも示してくれるのも及川だ。そして、日向は──常に受け身だった。及川の前では。何事においても。
だから今日こそは、彼に快楽を与えてやりたいのだ。与えられるだけじゃなくて、こちらからも愛について教えてあげたい。
離れている間ずっと、彼の存在に焦がれていたことも伝えたい。ひとりきりの寂しい夜を幾度となく過ごしたことも、できるものなら打ち明けてしまいたい。
「大王様……」
「なあに?」
「おれ、頑張りますから。頑張って、大王様のこと、絶対に気持ちよくしますから……」
「うん。……ありがとう」
腰をかがめ、及川の体に自分のそれを強く密着させる。二つの心音が、二人分の体温が密に重なり合い、もつれた糸のように絡み合う。両者をつなぐ「糸」の名はきっと、運命の赤い糸──血液の色で染め上げられた、麗しき幸せのしるしに違いない。
そう、日向は幸せだった。
愛するひとがここにいること、自分という存在がここにあること、互いの体温を確かめ合えること──そのどれもに驚異と感動を覚えていた。十数年生きてようやく、恋の悦びを知ったのだ。
初めての恋は、甘さとともに苦みをも連れてきた。「敵」として出逢ってしまった物狂おしさや切なさに圧され、知らず涙した日もある。
けれど、その感情も含めて、幸せなのだ。及川の傍にいること、彼の呼吸を間近で数え上げられること、ともに笑い、泣き、生きることができること──そのすべてが。
生きていること。
生かされていること。
大好きなひとに触れていること。
──触れられること。
五感のもたらすすべての感覚が、実に素晴らしいものに思える。目が見えること、手が動くこと、足を使って歩けること、心を遣って世界を味わうこと──そのどれもが、日向に生きる力を与えてくれる。前に進む勇気を教えてくれる。
唇を下に移す。鎖骨を柔く食み、再び犬のように舐めて、なけなしの愛を示す。
劣情と恋情の違いなんて、幼すぎる今の日向の頭では到底、識別できない。
けれど、それでも、愛について語りたい。拙い言葉でいいから、間に合わせの言葉でもいいから、──及川という存在をまるごと愛したい。
それにしても、と日向は思う。
この世には、多くの単位があるけれど、果たして「愛情」を測る単位はあるのだろうか。そもそも、愛を測るものさしってどこにあるというのだろう?
仲の良い友達が、「SNSでの『いいね』の数で測れると思うけど?」としたり顔で言っていたけれど、日向は「違う」と思っている。
むろん、誰かがつけた「いいね」によって救われるひともどこかにいるのだろうけれど、そんなちゃちな小細工ではおれの心は救えない。おれが求めているのは、愛するひととの触れ合い、それも肌と肌での触れ合いだ。
愛情を数で計測できたら、恋人同士のごたごたもぐっと少なくなるとは思うけれど、そんな現実はまだ来ていない。
だから──不安なのだ、実をいうと。
日向の恋人はとても気まぐれで、優しくて、日向以外の「誰か」にいつも愛されているから。ひとを愛するすべも、ひとから愛されるすべも熟知しているから。
「……おれ、いつも思うんです。『大王様を、おれだけのものにできたらいいな』って」
「……」
時折、肌にキスを落としながら、思いの丈を訴える。
「大王様の周りにはいつも大勢のひとがいて、……女の子とかもいて、妬ましさを覚えてしまうから。おれがオンナノコだったら、こんなに葛藤することもねえだろうし……」
「そうだね」及川が言った。
「俺のことを好きになっちゃう女の子なら、たくさんいるよ。けどね、俺が愛したいカノジョはお前しかいない」
カノジョ、と呼ばれて、日向はひどく動揺した。
「おれ、女の子じゃありません……」応える声まで、ひずんでしまう。
「わかってるよ」及川が、くすっと笑う。
「でも、性別なんてもはやどうでもいいのかもしれないね。俺はチビちゃんのことが大事で、チビちゃんも俺のことをきっと大事に思っていて──、だから大丈夫だよ。不安なんか気にしないで」
肌を舐める日向の頭に、手が乗った。
労るような手つきで、二、三度、髪を撫でられる。あまりにも優しく触れられて、日向はじわりと涙した。
どうしてだろう。
愛しているのはおれなのに、大王様から愛されているような錯覚を覚える。
「やっぱりかなわねえや。大王様には」
呟きを落としたすぐあとに、膝にキスをした。
「足、開いたほうがいい?」
「……お願いします」
そうして、開かれた足の間へと、唇を滑らせた。
まずは内股にくちづける。傷などつけないように、慎重に、キスマークを刻みつける。「しるしをつけた数だけ、想いが届きますように」とこっそり祈りながら、──広い世界のどこかにいるであろう「神」に値する何者かに祈りを捧げながら、肌を吸い上げた。
「ふふ、」と、及川がはずむように笑う。その声すらもいとしくて、さらに鬱血痕を浮き立たせる。
二人だけの密室は檻のように強固で、けれど、楽土のように美しい。世界から隔絶されたこの空間も、それを取り巻く夜空も大地も等しく美しい。
美しい。
美しい。
目にするもの、舌に感じるもの、肌が触れ得るもの、五体が知覚するものすべてが際限なく美しい──。
「見て、チビちゃん」及川が楽しげに声をかけてきた。
「……チビちゃんが凄く積極的なものだから、勃っちゃったよ」
確かに、目に映る及川の性器は下着を突き破るような勢いで、勃起していた。
「おれも、です……」
はあ、と息を吐きながら、日向は言葉を返す。下着の中では熱が勃ち上がり、しつこいぐらいに射精の時をねだっている。
「もう、我慢できないんでしょ」
「はい」
「じゃあ、チビちゃんも脱いで。……ね?」
「はい……」
吐息まじりの返事をしたのち、日向は、言われたとおりに全部脱いだ。痴態を見られることにまだ慣れないためか、脱衣するとき、何度か手間取った。
けれども、どうにか、自分の手ですべての衣服を剥ぐことができた。
及川に裸を見られるのはとても恥ずかしいことだったけれど、怖じけては先に進めない。
「俺も脱いじゃおうっと」
言って、及川が──ゆっくりと、下着を脱いだ。
もう幾度となく見慣れた体だというのに、日向は激しく欲情した。
興奮のためだろう。喉が乾いてしょうがない。
でも、欲しいのは水でなく、及川の精液だ。ひくつく蕾をかきまわされて、中に出されないことにはどうにもならない。
「チビちゃん、横になって」
限りなく命令に近い懇願に従ったところ、
「……っ……、」
後ろに、指を入れられた。それも一本でなく、複数の指を入れられた。
「あ…………!」
突然の衝撃に、息がうねる。
目を薄く閉じて快感だけを追い、喉を反らして喘ぎに喘いだ。いとしいひとだけに聞かせる色づいた声を上げ、雌を狙う雄を誘う。
やがて、くちゅくちゅ……と、濡れた汁音が響きはじめた。と同時に、収縮する蕾がさらなる刺激を求めて、指をきつく締めつける。
「だいおうさま……、おれ、だいおうさまが、……欲しい……」
「……うん。わかった」
指が抜ける。足の間に、及川の体が割り込んでくる。震える下肢を持ち上げられる。
「大好きだよ、チビちゃん……」
ささやき声が降ってきた。
そして、
「ああ……っ……!」
またも、呼吸がうねった。
鼓動が一気に加速して、全身を熱く昂ぶらせる。全力疾走をした直後のようないちじるしい熱気が、五指の先までくまなく覆う。
猛る性器を後ろでくわえ込みながら、──強く甘く揺さぶられながら、従順に快楽だけを選り取る。
「あ……、っ……、あ……、」
指先を伝う汗の滴が、畳に吸われて消えていく。
擦れる背中が少し痛い。けれど、そんな些末なことなど、今はどうでもよかった。与えられる熱を孔で扱き立てるほうに、ずっと夢中になっているのだから。
爪を立てぬよう気を配りながら、広い背中にすがりつく。
密着する胸と胸、そこで重なる心臓の響きがただただ切なく、いとおしい。自分以外の誰かを愛することが、自分以外の誰かから愛されることがこんなに狂おしいものだとは、想像すらしていなかった。
「好きです」
と呟いてみた。
「俺も」
言って、及川が日向の唇にキスを与える。
「おれの唇、汚いですよ。……シャワーすら浴びていませんし……」
「大丈夫だって」揺さぶりをかけながら、及川が言う。
「お前の体は綺麗だよ。このまま穴にでも埋めたくなるほどに」
軽く笑いかけたのち、及川がさらに腰を遣ってきた。
日向もまた腰をくねらせ、ひたすら快感をむさぼる。飛び散る汗はもはや、どちらのものなのか判別のしようがない。
(愛情の深さとか重さとか、ちゃんと測れたらいいのに……)
しかし、それはかなわぬ夢想に過ぎない。
どんなに愛し尽くしても、ふたりはあくまで別個の生き物なのだから。どんなに深く体をつなげても、離れればそれぞれの生活に戻らなくてはいけないのだから。
だから、今は──持てるだけの愛情を、ありったけの劣情込みで彼に伝えよう。自分の中に隠されている愛情の美しさも汚さも、ともに見せつけるとしよう。
腰を揺すり、嬌声を上げ、果ての果てまでのぼりつめる。ほころんだ蕾で柔く雄を食い締めては、互いの肉体から快楽の火種を引きずり出す。
「……っ……、チビちゃん、中、狭いって……!」
熱っぽいささやきをこぼしながら、及川が腰を揺さぶる。大胆かつ気まぐれな動きに魅せられて、日向もまた腰を揺さぶる。
そうして、二人して固く抱き合い、
「…………あ…………、」
──溜まっていた精を、たっぷりと外に放った。
「……っ、く……、」
及川もまた、日向の中で熱い精液をまき散らす。

ドクン、ドクン、と響く衝撃を全身で受け止めながら、日向は、
「好きです……」
と小声で告げた。
「……俺も」
小さなささやき声を上げたあとで、及川が唇をきつく塞いでくる。

愛情の深さを測るものさしなんて、どこにもない。
だけどそれでもいい、一縷《いちる》の愛を伝えたい。
うちに秘めた愛情をどう表現したらよいのか、いまはまだわからないけれど、だけど、及川の全部を愛で満たしたい。

そう、望みならたったひとつ。
愛について教えてあげたい。

【了】